『いのちの器』最終100巻発売記念 上原きみ子インタビュー
「35年間、一度も休まず『いのちの器』を描き切った上原きみ子先生。体が丈夫なんだと思うかもしれませんが、原稿を仕上げた後に「今月、入院していたんだけど、仕事があるから退院してきた」と聞いたことも。そうして描き続けた392回、100巻分の連載を終えて、今ふりかえる60年間のマンガ家生活と『いのちの器』とは…。

小説に挿絵を添えて書いていた少女時代
──デビュー前のお話を簡単に聞かせてください。
上原きみ子(以下、上原) 私が中学生の頃は、まだ家にテレビもなく大好きな本を買う余裕はありませんでした。
マンガも友達に借りた時しか読めなくて。だから自分で小説を書いて楽しんでいました。
母は字が読めなかったので、私がそれを母に読み聞かせて。
その頃、父はどこかへ働きに行ったきりお金も入れず、帰ってもこなかったので、母は朝早くから夜遅くまで働いていたんです。文字通り女手ひとつで私を先頭に5人の子供を育てていました。なんの楽しみもない生活のなかで、帰宅すると「今日はどこまで書いた? 明日も読んでね」と…。
母が喜んでくれるので、学校から帰ると4人の弟妹の世話の合間をぬって、せっせと書いていたのは…時代劇。
中学を卒業して会社の寮に入ると、自分の時間が全部自分のために使えて嬉しかったです。もちろん小説は書き続けました。いっちょまえに数ページごとにイラストを入れたりして!
私が19歳の頃、里中満智子先生が高校生マンガ家としてデビュー! 青池保子先生も!
私より2~3歳も下の少女たちの華々しい活躍に圧倒されて、私もマンガが描きたくなり、当時貸本専門の単行本で新人募集を見て見本8ページを描いて応募しました。すると編集長さんから「ぜひ135ページでまとめてみて」と返事が来て。
その月には4年半勤めた会社を辞めて実家に戻り、137ページの作品(『黒コスモスの花言葉』)を描いて送ったところ、そのままデビューとなりました。
のちに私が少女マンガを連載すると、一生懸命ひらがなを覚えて、本屋さんで買ってきて嬉しそうに読んでいた母の笑顔を思い出します。母は今の私の年、79歳で永眠しました。
読んで楽しいマンガは描くほうも楽しい!!
──19歳で結婚され、貸本の時代を経て少女マンガ誌『りぼん』(集英社刊)で一般誌デビュー。『少女コミック』(小学館刊)に移ってからは『ロリィの青春』『炎のロマンス』など3人の子供を育てながら大ヒットを飛ばしました。
そして活躍の場を女性誌に移し、『フォアミセス』(秋田書店刊)で発表した『いのちの器』が連載期間35年にも及ぶ大長編となりました。『いのちの器』で心がけたことは何ですか?
上原 19歳でデビューして、少女マンガから学年誌、そして女性誌の60年にわたる作画生活の中で、半分以上の35年が『いのちの器』とは…自分自身、改めて驚きです。嬉しいです。
担当さんから「産婦人科の女医さんの作品を」と打診があった時「産婦人科の女医さんと妊婦さんの人間模様!! このテーマを絶対描きたい!!」と思いました。なぜなら私自身が妊娠に関してあまりに無知だったから。
たとえばお産の時、社会保険からお産にかかった費用をカバーするお金が給付されることも知らず、そのお金はダンナがヘソクリに…。21歳で、熱を出した長男の医者代がなくて雨の中、泣きながら質屋さんの前をウロウロしたこともありました。
自分ではこの作品、かなりリアルに描いていたつもりだったけど、連載開始から何年かたって予告に〈癒やし系〉とあるのを発見。ああ、マンガで癒やされてくれる人がいるなら楽しいマンガにしよう! そう思って以来、楽しいマンガを描くよう心がけました。読者さんが読んでくれて楽しいマンガは描くほうも楽しい!! 当たり前ですけどね。
ただ、妊婦さんが読んで不安になる要素・エピソードは徹底的にはぶいたつもりです。







コミックス①巻より 子供の取り違えなどその時代の社会問題を、キャラクターたちの身に起きた事件として完成度の高い物語に仕上げている
──特に描いていて「楽しかった」のはどんなところですか?
上原 子供たちですね。子供って、大人が予想しないようなことをポロっと言ったりするでしょ。番狂わせというか、考えたセリフじゃなくて生き生きとした言葉が出てくる。
うちの娘が3、4歳の頃、気に入らないことがあった時に「お母さんと絶交する!」って言ったんです。もう驚いて、開いた口がふさがらないというか…すごくショックでした。それ以降、私は子供に対して友達のような目線で接するようになったんです。
そんなふうに優子と桃子、雅志を描いて、彼らが大きくなると穂高と悪ガキ3人組、次は五郎たち、そして茜やハナ。ライブでその時代その時代の子供たちの姿を描けたのが楽しかったです。
70巻のバレンタインデーのお話で、小さなハナが茜に「友チョコ」をねだって、茜が妙に納得して買ってあげるシーンもお気に入りです。
大人が言ったら説教くさくなる話も、子供が素直な言葉で言うことで相手に伝わることってありますよね。子供の力ってあなどれないんです。何しろ可愛いしね。






茜とハナ、最終回でも描かれた2人の絆
私…泣くだろうなと思っていた。最終回、最終ページを描き終えて
──100巻まで描き続けるためのモチベーションは何だったのでしょう。
上原 少女マンガで稼がせてもらって、子供3人分の大学までの教育費はなんとか貯めました。でもそこで仕事がなくなった時「絵も下手で才能も教養もなく、3年もつかと思った世界で、なんと10年もがんばった。もういいか!!」と思った時があります。
でも描きたい。やっぱりマンガを描くのが好きだ。20年間のつらい結婚生活を乗り越えられたのはマンガという仕事があったから!!
少女マンガを描いていた頃、どこにあんなパワーがあったんだろう。「せめて子供の教育費だけは…せめて家のローンを払い終えるまでは…」とがんばっていた頃…。
そんなことを考えていたら、私をこの世界でここまでひっぱり上げてくれたS社の名物編集者・Y氏の言葉を思い出しました。
「マンガ家は楽な時、幸せな時より、苦しい時の方がいい作品描くよなあ…」
たぶん、当時は女性マンガ家さんのことを指していたんだと思います。
よっしゃ!! 貯金全部使っちゃえ!! お金なくなったら生活のために描かなくっちゃ!! と。
でも誤算があって、新しく建てた家は貯金はたいても足りなくてローンが残ってしまって。
さあ!! 働いて 働いて 働いて 働いて 働くぞー デス。
──100巻まで続けてこられて、どんな苦労がありましたか?
上原 そうですねェ。私よりも編集部の方が苦労…というか大変だったんじゃないですか?
よくがまんして100巻まで描かせてくれたものだと本当に感謝、感謝です!!
ただ、50巻を過ぎたあたりから私の中では毎回、最終回でした。
年のせいでいつ倒れるか、あの世に行ってもおかしくなかったので…。池波正太郎先生のように、登場人物が敵に捕らわれたまま絶筆だと「誰か、おまささん助けてー」と気になるので…。

木が香る、有吉家のような和室の仕事場。ここで『いのちの器』全392話が描かれました。
──最終回を描き終えられた今の、率直なお気持ちを教えてください。
上原 実際に最終回を描き始めた時、「私、泣くだろうな…」と思ったのに、最終ページが近づくにつれて、心が軽くなっていくのを感じました。そして最後にペンを置いた瞬間、やりきった感が爆発!! 笑顔になりました。
思い残すことはありません。残りの人生が楽しみです。
このあとは体を治して、安曇野へ響子先生やハナたちに会いに行きたいな…。絶対待ってるよネ。


下描きの入った原稿。これからペン入れです。
インタビューを終えて
上原きみ子先生の原稿は、最後まで紙にペンで描かれました。その線はとても美しく、躍動していました。
ぜひ今回公開された、最終回の原稿にペンを入れる動画をご覧ください。
ひとつひとつの線を丁寧に集中してペン入れしています。
この時間の積み重ねが、100巻という女性誌史上初の大長編の誕生につながりました。

上原きみ子先生の最終回執筆動画
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