『セトウツミ コノモトメモ』 此元和津也 『セトウツミ』の作者自身によるレビューエッセイ!
#2 ミニトマト発言 (『第2話 アメとムチ』)
舞台化記念! セトウツミの作者・此元和津也が1話ごとの裏話と思い出を漫画と共に語るレビューエッセイ。
レビュー後の漫画とあわせてお楽しみください!
ミニトマト発言
「セトウツミ」連載一年目の年明けに行われた秋田書店の懇親会、1次会から2次会へ流れる神楽坂の道中で、若い編集者が僕に言った。
「『セトウツミ』面白いですね。お弁当で言ったらミニトマトみたいな。メインってわけじゃないけど、彩りとしてあったらうれしいみたいな」
「うるせえ馬鹿」とは言えないぐらいの駆け出し。看板作家の周りには人が集まり、僕の愛想笑いは白い息となり溶けていった。
生きていくのが面倒になるぐらい東京は坂が多く、右足を踏み出したついでに左足を出すような、慣性運動の連続。やがてこれが惰性に変わり、動きを止めそうになる。
最近、褒め言葉的に「よくこんなの書けるね」みたいなことを言われる。
その度に僕は、誰でも書けるよと答える。
書けないのは必要に迫られてないからだ。何日までに書かないと怒られるとか迷惑をかけるとか悲しむ人がいるとか恥をかくとか、そういった脅しめいたものが一切なかったら僕も書けない。
そんな諸々もお構いなしに、ただただ能動的に衝動的に楽しみながら書く人も中にはいる。そういうのを才能と呼ぶんだと思う。
「やる気」と呼ぶにはやや軽薄で「気概」と呼ぶには大層で「モチベーション」と呼ぶには気恥ずかしいような、その突き進む力を失いかけた時、僕は初心に戻る。
悔しさや満たされなさは大して変わらないが、何も持ってなかったあの頃、自分の作品が載ってない出版社からの献本を「はい俺より面白くなーい」と繰り返し言いながら、パラパラめくっていた。傍から見ればただの虚しいあの光景が、今の僕の推進力となっている。
漫画はほとんどの場合、担当編集者と2人で対話をし、お互いの方針や意見のずれをすり合わせながら、時には何度も構想を練り直し、物語の展開や世界観を共有しながら、双方向的なコミュニケーションを取りつつ進めていく。
脚本の場合は、複数の人間がディスカッションを行いアイデアを出していくブレストというものがある。
ブレインストーミング。要するに3人よれば文殊の知恵的な、みんなの脳みそを使ってみんなで考えてみよう的な。
どちらにせよ、打ち合わせというものを経て作品はつくられていく。
ただ僕は、この打ち合わせによって恩恵を手に入れたことはあまりない。
画期的なアイデアや発想はいつも、目を閉じた先にある、自分自身が持つたったひとつの脳からしか生まれない。
孤独の先の先にある、おかしくなりそうな脳みそを正常に戻す際の、生存本能のような自然治癒の力をアイデアと呼ぶ。
って言うとすごく大げさだし、そんなことをいちいち言語化してなかったけど「セトウツミ」に関しては打ち合わせというものは、ほぼなかった。
「原稿ありがとうございまーす。次回のネームお待ちしてまーす」
ぐらいのノリで単純にセトウツミはひとりで作っていた。
漫画雑誌というものは、表紙を飾るような看板の作品を中心に様々なジャンルの物語が掲載されている。その中でもおそらく、月刊誌のショート枠というのは、箸休め的な役割を担っていて、それはそれでとても必要で大切な要素だとは思うが、それをメインで雑誌を買おう、とはなかなかならない。
ここで冒頭の若手編集者の言葉に戻る。
この時に抱いた反発心は、僕にとってとても意外だった。このコラムでも言ってきた「真っ向勝負するまでの繋ぎ」「これで売れようとは思ってない」
これは、仮に負けた場合に自分を守るための、自分に対する言い訳にすぎなかった。
僕は本当は、この「セトウツミ」で勝負に打って出ている。
2話目を読んだ。そろそろヒロインみたいなのが必要か、ぐらいの感じで描いたんだと思う。作家はある程度、時代を読む力が必要だ。
この回でメール画面が出てくる。今の連絡ツールはこの頃には確かにあった。もう選択に失敗している。最悪だ。
それを抜きにしても、まあ、特別面白くはない。17点ぐらい。単純に実力不足。ミニトマト発言は掛け値なしの褒め言葉だったんだろう。
うん。だからいいと思うよ。その認識で合ってる。ただ、あんまり舐めんなよ。
看板作家の背中は見えないけど、彼らが一瞬振り返るぐらいの号砲は鳴らすつもり。この、誰も期待してない激弱の枠から、とんでもないところまで行けるかもしれないから。
例えば映画化とかドラマ化とか、挙げ句の果てには舞台化とか。
漫画 『セトウツミ 第2話 アメとムチ』はこちらから
次回は6月16日更新です。
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