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トピックス 2020.12.16

【特集】

障害を抱えながら働くには。 『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々』いのうえさきこ×ルポライター・鈴木大介対談(後編)

『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々』で、高次脳機能障害を持つパートナー・寝太郎さんとの日々を描いた、いのうえさきこさんと、高次脳機能障害の当事者であるルポライター・鈴木大介さんの対談です。後編は、障害と仕事について。

──高次脳機能障害を抱えながらも仕事に燃えていた、いのうえ先生のパートナー・寝太郎さんですが、最近、会社を辞めたとか。

いのうえ 障害を伝えた上で採用してくれた会社だったので、障害についても理解してくれて、本当によくしてくれたんですが、寝太郎が些細なことで感情を抑えられずに、社員の方の髪を掴んでしまって。殴ろうとしたけれど、手に麻痺が残っていたので、そのまま固まってしまったそうです。それで、ここまでこじれてしまったら辞めた方がいいだろうということで、自主退社という形になりました。

鈴木 高次脳機能障害は、すごく小さなことでも気持ちがざわめいてしまって、突然、激怒したり号泣したり。一度、笑い出したら止まらなくなるんです。普通の人がアリに噛まれても「チクリ」で終わるけれど、当事者は銃で撃たれたような衝撃を感じます。本人もこんな程度の刺激で、こんなに感情になるなんておかしいと頭では理解しているから、それを表面に出さないように我慢して、常にパンパンの状態なんです。そこにさらに、小さな刺激があると、脳の処理が追い付かなくなって、感情が爆発してしまう。よく高次脳機能障害になると、人格が変わる、怒りっぽく、我慢ができなくなるなんて言われますが、その言葉には当事者が一番傷ついています。だって自分でもおかしいってわかってるから、こんなにも我慢しているのに……。この気持ち、なんとか理解して欲しいと願うんですが。

障害を抱えながら働くには。 『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々』いのうえさきこ×ルポライター・鈴木大介対談(後編)

いのうえ そうですよね。わかってはいるつもりなんですけど。

鈴木 とはいえ、当事者にとって一番のリハビリは、たくさん刺激のある社会の中でなんとか生活をすること。感情をコントロールしたければ、そのものずばり「感情をコントロールする」というトレーニングすることが一番で、これは身体の筋トレと何ら変わりない。だから、社会復帰はしたほうがいいんですが、強すぎる刺激、特に新しいことへの挑戦は、避けた方がいいです。というのも、僕は受傷して12日後には闘病記出版の企画書を書いたし、実際、半年後には本を出しました。でも、発症して3年後、地元の自治会で、お菓子の袋詰めをしたときパニックを起こしてしまったんです。回覧板を回す順番を決めることも難しくて、21世帯しかないのにリストから1世帯が抜けてしまって。田舎なので大問題になって、ビールを持って謝罪に行きました。病前にずっとやっていたことは何とか続けられても、全く未経験の課題になると一気に障害が顕在化するというのは、当事者の顕著な特徴です。

いのうえ 鈴木さんは、普段からしっかりしてらっしゃるから、相手の方も障害があるからとは思えないんでしょうね。

鈴木 お菓子の袋詰めさえできないのかって、自分自身に失望しましたけど、大事なのは菓子袋が作れないことじゃなくて、本はまだ書けるってことです。寝太郎さんは編集者だったから、たぶん環境を整えたり配慮を受けたりした上なら、一番やれることは編集作業じゃないかと思います。

障害を抱えながら働くには。 『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々』いのうえさきこ×ルポライター・鈴木大介対談(後編)

いのうえ 前の会社でもそれに近い、企画・立案・進行という部分を受け持っていたので、ノウハウは生かせたんじゃないかと思います。

鈴木 きっと寝太郎さんは、編集はできると思います。逆に言えば、編集以外はできません。僕だって本は書けるけど、未経験のものは簡単な事務作業補佐とかでも、難しい。絶対無理。

いのうえ それはすごく嬉しいです。本人も編集が好きだから、編集の仕事を探しているんですが、その中で引っかかるのが、コミュニケーションの問題です。編集なら、ライターさん、カメラマンさん、取材者などいろんな方に同時に連絡をしますよね。そこで、つまずくことが一つあると、そこが気になって前に進めないんです。

鈴木 進行とコミュニケーションは、僕らにはどちらも鬼門です。決まらないことがあると、すごく混乱します。だから、複数進行は少し苦手かもしれません。ゆっくりしたペースで書籍を1冊だけ編集するなら、できると思うんだけどなぁ。あとは、取引相手に、この障害の症状やできないことを全てカミングアウトして、理解してもらったっていう実感と安心感があると、一気にやれることが増えます。

いのうえ 今、考えたら、これまでの私たちの苦しみは、障害について伝えなかったことに起因すると思います。本人が病気のことを口にしたがらないのに、私が言うのは違うと思って、本人が言えるようになるまで待っていたら、10年かかってしまいました。

鈴木 僕の妻は、当初、僕が周りの人に言えない分、「うちの人はこれができないので配慮してください」とバリアーを張ってくれました。

いのうえ 私もそうすべきだったんですよね。

鈴木 難しいのは当然ですよ。妻は発達障害があって、高次脳機能障害に近い症状を経験しているから、たまたまそれができたんだと思います。でも、仕事で病気のことを伝えたら、取引先は3分の1に減りました。それでも残ってくれた編集者は、病気のことも理解してくれるし、一生付き合える信頼感が生まれました。寝太郎さんも、編集作業やそれに似た仕事が、彼にとっての救いになると思うんです。ただ、注意したいのは、連続作業は難しくなります。編集者さんって、20時間ぶっ通しで仕事をしたりするじゃないですか。でもこの障害の特性に、「疲れやすさ」があります。脳のエネルギーが少ない、同じ作業をするにも大量にエネルギーを消費してしまうなんて理由が背後にあるんですが、脳のエネルギーが枯渇するとほんとに日本語の意味すら聞き取れないし読み取れなくなるし、その状態で頑張ろうとするとパニックにも陥ります。

いのうえ 寝太郎は、ストンと急に寝てしまいます。前兆は本人も感じてるみたいなんですが、その手前で仕事を切り上げるようにしないといけないですね。そんなふうにいろいろと制約があると、よく「なぜ障害者枠で就労しないのか」と聞かれるんです。仕事も簡単だし配慮もしてもらえる。でも、その仕事をしても、寝太郎は全然楽しそうじゃないんですよ。

鈴木 障害者雇用枠で選べる知的ワークはとても限定的ですから、まだ知的な仕事ができる寝太郎さんにそれを勧めるのは、残酷ですよね。就労支援を批判しているわけじゃないけど、僕らが救われるのは、工夫や理解があればなんとかギリギリこなせるといった負荷の仕事です。そこで脳を働かせ続けることこそが、リハビリですから。

いのうえ 前の会社にいたときは、普通の会話や、普通のコミュニケーションができるようになったんです。急速にリハビリが進んでいる実感がありました。

鈴木 リハビリの助けになるのは、自己肯定感とプライドですよね。だから、プライドが半分くらい保てる仕事をしながら、機能を再獲得していくことがいいと思います。そのためには、自分ができないことを認識して、周囲に配慮を求めることが必要です。

いのうえ そうですね。今回の単行本は、寝太郎の話でありながら、私自身の話でもあるんです。「病前にはできたのに」という私自身のプライドや期待を一旦、横に置いといて、お互いに病気を受け入れる。周りの人に症状を話して、理解してもらう。それが本当のスタートなんですよね。

障害を抱えながら働くには。 『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々』いのうえさきこ×ルポライター・鈴木大介対談(後編)

◇プロフィール いのうえさきこ

だじゃれと酒を愛するマンガ家。最新刊に『東京世界メシ紀行』(芸術新聞社)。『圧縮!西郷どん』(集英社文庫)『いのうえさきこのだじゃれ手帖』(集英社コバルト文庫)。飲み物と食べ物と生き物に反応しがち。
作者Twitterアカウント:@shiroinu1704

◇プロフィール 鈴木大介

1973年、千葉県生まれ。文筆業。裏社会、触法少年少女らを中心に取材し、『家のない少女たち』(宝島社)、『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『老人喰い』(ちくま新書)などを刊行。2015年、41歳のときに右脳に脳梗塞を発症し、高次脳機能障害が残る。そのときの体験を『脳が壊れた』『脳は回復する』(ともに新潮新書)に書き話題となった。近著に『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院)など

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