創作の海に「船を出す」こと──『海が走るエンドロール』著者・たらちねジョン ロングインタビュー
1巻発売の翌日に重版が決まり、新聞やTVでも紹介されるなど、今、もっとも注目されるマンガ『海が走るエンドロール』(秋田書店「月刊ミステリーボニータ」連載)。その著者・たらちねジョン先生に、本作が生まれた背景や「創作をはじめること」について、たっぷりお話をお聞きしました!
兵庫県出身。既刊に、『グッドナイト、アイラブユー』(KADOKAWA)『アザミの森の魔女』(竹書房)がある。2020年より「月刊ミステリーボニータ」(秋田書店)にて『海が走るエンドロール』を連載開始。コミックス第1巻、現在発売中。また、たらつみジョン名義でも活躍中。
バズりすぎて明日死ぬのかと思った
──『海が走るエンドロール』、拝読いたしました。とても面白かったです。まず主人公のうみ子さんがとても魅力的ですよね。映画を撮る65歳の女性という主人公像が出てきたことに、「こんな未来の可能性もあるのか」と勇気づけられました。
本作はどのようなきっかけで着想したのでしょうか。
まず打ち合わせで、私が大学で映像専攻だったことを漫画にできないか、と相談した記憶があります。主人公の年齢を高めに設定しようと提案してくださったのは、担当編集の山本さんでした。
(山本)もともと少女漫画や女性誌って、読者層より年齢が上のキャラクターが輝いている作品が多いと思うんです。自分も年をとってきて、この先どうなるんだろうと考えたときに、たらちね先生にぜひ生き生きと歳を重ねた女性を描いてほしいとお願いしてみたら、描いてくださいました。
──「映像専攻」と「年上の主人公」というアイディアが合体して本作が生まれたんですね。
『海が走るエンドロール』はTwitter上で1話の試し読みが28万いいねを獲得するという非常に大きな反響がありました。たらちね先生はどのように受け止めていますか。
全く予想していなかったので、すごく戸惑いました。1ヶ月ほど経った頃にようやく感想を読めるようになったのですが、それまではもう、「おかしい、もしかして明日死ぬのかな……」という感じで……。
65歳が創作の波にのまれる話 pic.twitter.com/kzCAOEkRjs
— たらちねジョン🌊海が走るエンドロール (@new_john1) August 16, 2021
本作の試し読みをたらちね先生のtwitterで公開したところ、大反響を呼んだ。
──反響の数は、この物語を求めていた方の多さを示しているんだと思います。気になった感想はありましたか?
印象的だったのは、歳を重ねた女性の「ご飯作るのめんどくさいな」とか「部屋を掃除するの嫌だな」といった葛藤が描かれていることに感動した、という感想です。うみ子さんは65歳ですが、それくらいの年齢のキャラクターは当たり前のようにご飯を作ってくれる人物として描かれていることのほうが多いみたいで。この感想はすごく肯定的に読んでくださっているなとうれしく思いました。
あとはうみ子さんが「おばあちゃん」ではなく、一人の人間として描かれていてよかった、という感想にも励まされました。
反響の大きさについて友人に分析を頼んだら、「本当は当たり前だけど、世の中的にはまだ当たり前じゃない」ことを言葉にしてもらうと、「わかってる人がこの世にいる」という感動に繋がるのかもしれない、と言われたんです。
そのとき例として話題に出たのが、『アンナチュラル』や『MIU404』などの、倫理観がしっかりしたドラマのことでした。『MIU404』では、「美人すぎる」というレッテルを張られて「私はただ仕事を頑張っているだけなのに」と語る警察官のキャラクターが登場したりする。そういう描写は読者の方の共感を生むのかなと、友人と話し合っていました。
──野木亜紀子さんの脚本は、物語の展開の中でマイノリティや社会的に弱い立場に置かれた人の生きづらさを拾い上げるのが非常にうまいですよね。そのような部分で、『海が走るエンドロール』とも通じるものがあるように感じます。
たとえば海くんは、扉絵でワンピースを着ていたり、恋愛映画に対して関心が薄かったりと、典型的な性規範からは外れた立ち振る舞いをするキャラクターとしてさらっと描かれているのがとてもすてきです。
海くんは「人の容姿について本当に興味がない人」としてデザインしました。リアリティのために言う場面はもちろんありますけど、基本的にキャラクターの口からルックスについて言及させたくないと思っています。
セクシュアリティについては、そもそも海くん自身が自認することですし、今後変わるかもしれないし、アロマンティック・アセクシャルの人でも恋愛を経験する人がいるように、それぞれのセクシュアリティの定義から逸れた振る舞いをする場合もあるわけですよね。なので周囲の人がこうかもしれないと想像したり、海くん自身が自分はこうかもしれない、と考える場面は描くかもしれませんが、外から断定するような描き方はしないように意識して描いています。
──それはすごく大事な描き方だと思います。芸術を作る場所では、「恋愛した方がいいもの作れるよ」っていう言説が絶対ありますよね。海くんというキャラクターに焦点が当たっていて、恋愛映画に対して批判的な発言の描写が入る、というのはその手の恋愛至上主義的な言説に対してカウンターになると思いました。
ああ、ありますよね。大学時代、教授の中にも「恋愛した方がいい」と言っている人がやっぱりいました。卒制でも異性とのベッドシーンを入れる子が数名いたんですよ。
自己表現は自分を掘る作業ですけど、そのときに自分をさらけ出す=セックスまで他人に見せる、という結論に行き着いてしまうんだ……と驚いて。
それってすごく表面的じゃないのかな、と私は思っていました。
──それは本当におっしゃる通りですね。興行収入を意識すると商業映画はラブロマンスの方向性に行かざるを得ない、という話も聞いたことがありますが、『海が走るエンドロール』の反響を見ていると、ちょっと世界は変わるんじゃないかなとも思えてきます。
ありがとうございます。『海が走るエンドロール』は恋愛ものではないですし、私は好きだけど「みんなが好き」な漫画ではないだろうな……と思っていたので、反響を受けて、「勝手に疎外感を感じていただけだったのかもしれない」と思いました。
創作の海に「船を出す」こと
──作中、海のモチーフが何度も出てきますね。これはものづくりの世界の象徴なのかなと読み解いていたんですけど、たらちね先生は作品を作る際、どのようにアイディアを練っていますか。
そうですね、いつも映画や舞台を観に行ったり本を読んだり、漫画以外の作品を最低3本ぐらい見てからネームをしています。
漫画づくりのメインは私の中ではネームなんですけど、ネームを作っていると本当に船を出している気分になるんです。「これ面白いのかな」「どの海岸に辿り着くんだろう」みたいな不安がずっとあって、海のモチーフはそこから来ています。
船を出すための筋肉のようなものも必要ですね。以前別の雑誌で「毎月新しいネームを作って」と言われたときがあって、最初の1、2回は本当につらかったんですけど、3、4回となってくると船出すのも「とりあえずやるか」となってくる。もちろんたどり着いた先がしょうもない島だった、という場合もあるんですが、ネームがダメでも自分自身が否定されたと思わないように気をつけています。
──『海が走るエンドロール』は、作る人/作らない人の垣根を溶かしていくような展開になっています。一方で現実には、クリエイターと呼ばれる人たちが称揚されて、作る人/作らない人の境界線は強烈に存在しますよね。この状況について何か意識して描いたところはありますか。
それは強く意識したというか、自分を癒すように描いたところがあります。
私は社会人になった途端に、「美大に入れる時点で恵まれてるね」「恵まれてる人にこっちの悩みは一生わかんないよ」と言われることが増えました。今思えば私も相手に対して失礼なことを言ってきたせいかもしれないのですが、そのときはそんな言われ方をするなら漫画描くのやめようかな、とかすごく悩みました。
そこで作る側/作らない側って、最終的にはやるかどうかという個人の決断でしかないんじゃないかと思いました。それを「やりなよ、大丈夫だよ」って責め立てるのは私の役目じゃないと気づいて、それで漫画をやめるのをやめることにしたんです。結局自分は相手の創作意欲を一定の距離感から応援することしかできないし、それは言葉では伝わらない。
なので漫画で描いたら、「自分も船を出そうかな」と言ってくれる人がたくさんいたので、それはよかったなと思っています。
年齢差を超えたコミュニケーションを描く
──作中、背景に出てくる名前のないモブキャラクターまで個性的に描かれていて、リアルな美大の雰囲気を感じます。
サブキャラクターの造形にはこだわっているので、その感想はうれしいです! 美大生のファッションについては、今の美大生の服装を知るために母校の後輩にいっぱい写真を撮って送ってもらって、それを参考にして描いています。あとは背景のアシスタントに入ってくれている友達も美術系の出身なので、モブを描くときに「何専攻の子を描く?」と確認してくれて、映画専攻だったらこんな服かな、総合授業のシーンはプロダクトもインダストリアルもみんないるからこんな雰囲気かな、などと相談しながら進めています。
──専攻ごとに考えているというのは細かいですね。大学という場所にも関係するかと思うのですが、海くんとうみ子さんは撮る/撮られるの関係をお互いに築いていきます。1人で制作していた海くんをうみ子さんが撮って、海くんもうみ子さんを撮る側に回る。この主体/客体の逆転が印象的でした。
これは私の関係性に関するフェチズムにつながっています。私が今まで書いた漫画、だいたい年齢差のあるコンビなんですよ。以前描いたBL『アルコホール・コミュニケイション』(たらつみジョン名義、集英社)も、年齢差のカップルが多く登場します。現実には珍しい光景かもしれませんが、年上が年下に学ぶのはすごく尊いことだと思いますし、それを通じて生まれる対等な関係に対する萌えがありますね。
──一見して非対称性のある関係性の垣根がふっと解けて対等な関係になっていく展開には、すごく希望を感じます。先生自身が影響を受けた映画はありますか?
明確に影響を受けたのは、高校のときに観た『ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ』(※)です。『ヘドウィグ』でドラァグクイーンという文化を知って、監督のジョン・キャメロン・ミッチェルを好きになりました。
※『ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ』……性別適合手術の失敗で股間に残された「怒りの1インチ」を持つロックシンガー・ヘドウィグが、自らの楽曲を全て盗んで大スターになったかつての恋人・トミーを追いかけるツアーの道中を描いた、ロック・ミュージカル映画。
──『ヘドウィグ』、私も大好きです! 具体的にはどんなインスピレーションを受けたんでしょうか。
先ほど「年上が年下に学ぶ姿勢に尊さを感じる」とお話ししたんですが、その起源がヘドウィグかもしれないです。ヘドウィグは結局トミーを許すわけですし。
そして私は『ヘドウィグ』を見ていなかったら、ゲイカルチャーにも興味を持ってなかったんじゃないかなと思います。クィアな人は当たり前にいるんだな、という気づきを得たのは、多分『ヘドウィグ』が最初でした。
──私はヘドウィグが韓国の軍人の妻たちとバンドを組むところが好きです。アジア系の人が画面にふっと当たり前のように出てきて、ヘドウィグはその人たちと対等にバンドを組んでいる。ヘドウィグが主人公であることも含めて、あの映画は物語から疎外されてきた人を拾い上げる話ですよね。そこも『海が走るエンドロール』に繋がるのかもしれない。
確かにそうかもしれないです。
──ちなみに『海が走るエンドロール』読者の方におすすめの映画はありますか?
それが、あるんですよね。『エターナル・サンシャイン』です。恋愛映画なんですけど、ミシェル・ゴンドリーというよくMVを作っている監督の作品で、私の映像萌えが詰まっていておすすめです。
作品の繊細さと倫理
──うみ子さんを「おばあさん」ではなく「うみ子さん」と呼んで向き合うように、海くんが常に「人と人」として周囲に接している描写が印象的でした。コミュニケーション描写のこだわり、先生が立場やコミュニケーションについて普段考えていることなどがあれば教えてください。
コミュニケーションについて考えるようになった背景として、小学校の頃の体験が思い当たります。小学校2年生の時に父が亡くなったんですけど、亡くなった後にいろんな人が「かわいそうに」って言ってきたんです。まわりに母子家庭も少なくて。そしてテレビを観ていても、「両親揃った家庭が普通で幸せ」みたいに描かれている……。それを母と観る気まずさも感じていました。別に私は父の死後も幸せだったのですが、他人から見たら「普通じゃなくてかわいそう」なんだ、という嫌さがずっとありました。「人を決めつけないようにしよう」という意識は、その時期に芽生えたと思います。
──家族像についての押し付けが原体験だったんですね。
そうですね。私が繊細だというだけで、気にならない人もいるんだとは思うのですが。
──今はいろんな人が自分の繊細さや傷に気づき始めている時期なのかもしれないですね。
それはすごく感じますね。セクハラを受けた経験について描いた『女(じぶん)の体を許すまで』(小学館)という漫画がありましたが、あの作品は今だから出てきたのだと思います。まだ難しいところもありつつ、繊細さを大事にする作品が本当に増えたな、とよい時流を感じています。
──何か他にシンパシーを感じる作品はありますか?
シンパシーとはちょっと違うんですが、『ブルーピリオド』(講談社)や『メタモルフォーゼの縁側』(KADOKAWA)などの先行作品があって、読者の方の側に読む準備ができていたからこそ『海が走るエンドロール』にも多くの反響があったんだろう、と友人とは話していました。
──これまで舞台にされてこなかった場所が物語の舞台になったり、これまで物語のキャラクターではなかった人が物語の主人公になっていく流れの中に、『海が走るエンドロール』があると。
はい。皆さんすんなり入ってくれるというか、たとえば「何でうみ子さんを65歳にしたんですか」みたいな質問がなくて、そこに疑問を持つ人はもういないのかなと思いました。
以前別の雑誌でネームを作っていたとき、レズビアンを主人公にしたネームを持って行ったら「まだ“売れ線”じゃないから」と言われて却下されてしまったことがあったんです。でも今、山本さんは全部やらせてくれますし、セリフ回しの修正なども丁寧で。倫理観の信頼できる、向いている方向も似ている編集さんと一緒に仕事ができてラッキーだなと思います。
──読者としてもそれはとても頼もしいです。漫画の倫理観は、一部からは「ポリコレ棒」などと揶揄されて嫌われていますが、むしろ作品からノイズを取り除くのがポリティカルコレクトネスですし、いろんな人が楽しめる物語を作るためには常に倫理を新しくしていかないといけないはずですよね。
そう思います。これは創作理念なのですが、私は漫画を娯楽だと思っているから、基本的に漫画を読んで暗い気持ちになってほしくないんですよ。大前提としてみんなに読んでもらいたいし、「よかった、楽しかったね」で終わってほしい。『海が走るエンドロール』には「親にプレゼントしたい」という感想を多くいただけて、「多くの方に楽しんでいただける作品なんだ」と思ってとてもうれしかったんです。
──『海が走るエンドロール』がバズること自体に、私も大きな希望を感じます。
先に1巻の続きも見せていただいたのですが、ここから本格的に映画の授業が始まったり、人間関係の描写も「おっ」という場面が増えてきて、どんどんワクワクする展開になっていきますよね。今から続きがとても楽しみです!
ありがとうございます。「すぐ飽きられるんじゃないか」という不安も最初はあったのですが、こうして今回取材もしていただいたので(笑)、変わらず頑張っていきたいと思います!
(取材・文/高島 鈴 twitter)
うみ子さんと海くん、ファッションについて語る…!?
漫画の試し読みURL:https://souffle.life/topics/souffle-special/20210816-3/
たらちねジョン先生 公式twitter
ミステリーボニータ 公式HP
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