『セトウツミ コノモトメモ』 此元和津也 『セトウツミ』の作者自身によるレビューエッセイ!
#10 凪(『第11話 人間と動物』『第12話 人と人』)
セトウツミの作者・此元和津也が1話ごとの裏話と思い出を漫画と共に語るレビューエッセイ。
レビュー後の漫画とあわせてお楽しみください!
凪
競走馬にはそれぞれ得意な距離があるように、人間にも様々な適性があり、そしてそれをなるべく早く見極める必要がある。
たとえば睡眠時間や食べられる量や仕事の向き不向きとか。
これは自分を知るということと同義であり、とても難しい。
他者評価から、あるいは経験から自己理解を深めていくしかない。他人と比べ自分と向き合うこの作業は苦しい。
創作は凪の状態で行われる。平穏な心に耳をすまし、波風の居所を突き止める。
反面、自己開示しているようでしてないこのエッセイでは、ある程度心を感傷的に持っていく必要がある。
何が言いたいかというと、要するにダルい。
11、12話。
2か月連続2本立ての後半。
前回のようなギミックは連続では使えない。
構造自体はシンプルでバックボーンを共有しなくても笑えるものとなっている。反響は大きかったと思うし描いていて楽しかった。
ただ、この構造に当てはめる核の部分、“何を笑うか”においては慎重に考える必要があった。
この作品そのもの、ひいては会話劇全体に言えることだけど、即興だから成立する、というギリギリのボーダーラインが存在する。
たとえば噛んだとか噛まないとか、言い間違いだとか。ここのさじ加減を間違えるととてつもなく寒いことになる。
演じる人間が介入すると、その人の裁量が大きくなると思うけど、漫画や活字になると特に、作者の存在を感じさせてしまい、そうなると終わりだ。
この解説をしている時点で駄目なんだけど。
この頃には既にルッキズムの流れも感じていたので、そういう意味でも慎重になった。
今回の話がうまくいった理由がもうひとつある。これまで16ページだったのが、この回で初めて20ページ使った。
この頃の作業工程は、まずテキストで書いて、目算でページ数を割り振っていく。すると大体20ページ前後だったので、間を詰めたりセリフをカットしたりして16に収めていた。
つまりこの作品の自分の適性ページ数は20だった。
前回のエッセイを送ったあとS子さんに「2か月連続2本立てって、ヤバいですね。だって断らないんだもの」と言われて、断れたのかと驚愕したけど、自分の適性を知れたのでやって良かったと思う。
そういう意味では2本立ての余りページで作った、じゃない方とも言える作品だけど、こっちの方がこの作品の趣旨に沿っている。
人間とゴリラはうまくいくのに、人と人はなぜうまくいかないんだろう。
人を楽しませたいのに、人を悲しませたくないのに、人を傷つけたくないのに、うまくいかない。
ストレスはすべて、対人にあると思っていた僕は、より、内向的になっていく。
心を凪の状態にとどめておくために。
実はこの時点で僕はまだ、同業者に会ったことがない、どころか見たこともなかった。
アシスタントに行ったこともなければ呼んだこともない。
完全にひとり。
漫画を描き始めたのが遅かった僕が他人を出し抜くためには、内輪で慰めあって満足する素人たちや、馴れ合っているプロたちを否定し、遠ざける以外に方法がないと思っていた。
創作の喜びを知ったはずなのに、同時に僕は虚しさを感じていた。
今も大して変わらないけど、のし上がっていくという情熱が無気力で相殺されるような、この頃の僕はなんだかよくわからないものになっていた。
なんかやる気でない。休みたい。なんなら辞めても構わない。
これはきっと、同業者に会ったことがないからだ。とんでもなく才能のある人、エネルギーに満ち溢れた人に接触すると僕は変われるのではないか。要するに、刺激が足りなかったんじゃないか。
単純に見てみたかった。漫画家というのは、子供の頃から絵を描き続け、物語に触れ続け、投稿や持ち込みを経て、厳しい椅子取りゲームに勝ち残ったバケモノだらけ、言ってみれば、選ばれし天才たちを是非肉眼で見てみたかった。否が応でも刺激されるはずだ。
人に会わないと。
作者と読者は、原稿を通しただけで、結局は人と人だ。
ついに立ち上がる。
次回、此元和津也、同業者に会う。
漫画 『第11話 人間と動物』『第12話 人と人』はこちらから。2本立てでどうぞ。
次回更新をお楽しみに。
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