『もっと!天幕のジャードゥーガル』谷川 春菜 マンガがもっと楽しくなる必携コラム!毎月25日更新!
もっと!天幕のジャードゥーガル モンゴル帝国の信仰
モンゴル国立大学研究員・谷川春菜さんによる、大好評のモンゴル帝国コラム連載!
>>>『#15.5② 天幕のジャードゥーガル 銀貨編』とあわせてどうぞ!
このコラムでは、マンガ『天幕のジャードゥーガル』の舞台となった地の歴史や文化を連載形式で解説します。今回は1月25日更新の番外編『#15.5② 天幕のジャードゥーガル 銀貨編』前半のあらすじをふまえ、モンゴル帝国に存在したさまざまな信仰をご紹介します。
番外編前半のあらすじ
今回のお話は、歴史書『集史(注1)』のオゴタイ・カアン紀に収録されている一エピソードが題材のようです。その内容をまとめると下記のとおりです。
──ある日、オゴタイとその兄チャガタイは、一緒に狩りに行きました。帰り道、水に入って体を洗い清めているイスラーム教徒の男性を見かけました。
モンゴルの人々は、春と夏の日中に水に入ることや、川で手を洗うことをタブー視していました。そうした行為が、恐ろしい雷を引き起こすと考えていたためです。
──チャガタイは、このタブーをおかした男性を殺そうとしました。オゴタイは、翌日あらためて取り調べようと言ってチャガタイを止め、部下のダーニシュマンド・ハージブという人に以下を命じました。まず、男性が体を洗っていた水中に、1バーリシュ(注2)の銀を投げ入れること。そして、この男性に対し、翌日の取り調べの場で「自分は貧乏で、水中に落としたお金を拾うため、水に入りました」と釈明するよう伝えることです。
──翌日の取り調べで男性は、ダーニシュマンド・ハージブに言われた通り釈明し、実際に水中から1バーリシュの銀が見つかりました。そこでオゴタイは、この男性は故意にではなく、貧しさのためタブーをおかしてしまったのだと言って許し、さらに10バーリシュの銀を与えて、今後同じ行為を繰り返さぬよう約束させたということです。(注3)
(注1) イルハン国の君主ガザンの命令により、ラシード・アッデーンが編纂し、14世紀初頭に成立した歴史書。原書はペルシア語で、ロシア語訳、英語訳、韓国語訳、漢語訳、モンゴル語訳があり、近年、日本語の部分訳(赤坂恒明 監訳、金山あゆみ 訳注『ラシード゠アッディーン『集史』「モンゴル史」部族篇 訳注』風間書房、2022年)も出版されました。
(注2) フビライ・カアンの時代には、ペルシア語で「バーリシュ」(枕という意味)、ウイグル語で「ヤストゥク」(枕という意味)、モンゴル語で「スケ」(斧という意味)と呼ばれる、枕あるいは斧のような形の銀塊(約2キログラム)が、モンゴル帝国全域で共通貨幣として使われていました(杉山正明『クビライの挑戦―モンゴルによる世界史の大転回』第3部第4章、講談社、2010年)。
(注3) ラシード・アッデーン『集史』オゴタイ・カアン紀、ロシア語訳 Рашид ад-Дин. Сборник летописей. Академия наук СССР. Том.II 1952年、49ページ
※電子版<https://www.vostlit.info/Texts/rus16/Rasidaddin_3/frametext2.html>
以上のエピソードは、オゴタイとチャガタイの統治方針の違いや、銀(バーリシュ)の流通状況など、示唆に富む内容ですが、本解説では「水に入ることや川で手を洗うことが雷を引き起こす」という部分から話をひろげて、当時存在したさまざま信仰を紹介します。
落雷の事後処理―シャマニズム
水に入ることや川で手を洗うこと=雷を引き起こす恐ろしい行為と考えていたモンゴルの人々。しかし現代に生きる私たちは知っています。それらの行為を控えたとしても、雷の被害はなくならないということを。
落雷で死者が出た場合、どのような事後処置が行われたのでしょうか。モンゴル帝国を訪れたキリスト教宣教師カルピニの旅行記には、次のように書かれています。
「死んだものの親族、その住居に住んでいるものは一人残らず、火によって清められねばなりません。このお祓いは、つぎのようにして行なわれます。火を二ヵ所に燃やし、それらの近くに槍を一本ずつ立てて、この二本の槍の先端になわを一本はりわたし、これに、バックラム布の小片を結びつけます。このなわとそれについた布片との下、二つの火のあいだを、人間・動物・住居を通らせ、女が一人ずつ両側にいて、水をふりかけ呪文を唱えます。そのとき車がこわれたり、何かがその場で地面に落ちたりすると、その呪術師たちがそれを自分のものにします。また、落雷で死んだものがあると、その同じ住居群に住むものは一人残らず、上述のようにして、火と火のあいだを通らねばなりません。」(注4)
以上の記載から、落雷によるものを含め、死者が出た際の事後処理を、呪術師(巫術師、いわゆるシャマン)が担当していたことが読み取れます。マンガ本編ではこれまでにも、ジャダ石を使って雨ごいをしたり、精霊に未来を問うシャマンの姿が描かれてきました。こうしたシャマンを中心とする信仰をシャマニズムと呼びます。
モンゴルの人々は
(注4) カルピニ、ルブルク著、護雅夫訳『中央アジア・蒙古旅行記』第1部「プラノ゠カルピニのジョン修道士の旅行記」第3章「タルタル人の神の礼拝、かれらが罪悪とみなすこと、占いとお祓い、葬儀そのほかについて」講談社、2016年
※モンゴルの人々と雷の関係をまとめた論文として、今井秀周「北方遊牧民族と雷」『東海学院大学紀要』4、2010年、139~148ページがあります。
電子版<http://id.nii.ac.jp/1568/00001872/>
(注5) 松田孝一「モンゴル時代中国におけるイスラームの拡大」堀川徹 編『講座イスラーム世界3―世界に広がるイスラーム』栄光教育文化研究所、1995年、158~192ページ(とくに161~162ページ)
水で体を清める―イスラーム
今回の番外編で、水に入って体を洗っていたイスラーム教徒。イスラームでは、礼拝の前に体を水で清めるよう定められていますが、これはモンゴルの人々にとってタブーをおかす行為でした。
モンゴル帝国では信仰の自由が保障されていたといわれますが、この水に入る行為や、第8幕で描かれた家畜の屠殺方法については、その自由を制限していました。モンゴルの方法は、羊の腹を少し切って、そこから手を入れ、心臓近くの血管を切るというものです。それに対してイスラームの方法は、以下のように喉を切って放血するもので、チンギス・カンの時代からこの方法を禁じる命令が出されていました。(注6)
イスラームは7世紀初頭に成立し、その後、西アジアを中心として広く信仰されるようになりました。イスラームの中にも、シーア派やスンナ派などさまざまなグループがあり、これについては今回の番外編『#15.5① 天幕のジャードゥーガル 台所編』の後半でも触れられています。
(注6) 松田孝一「モンゴル時代中国におけるイスラームの拡大」堀川徹 編『講座イスラーム世界3―世界に広がるイスラーム』栄光教育文化研究所、1995年、158~192ページ(とくに163ページ、ただしこの禁令はオゴタイの時代以降、柔軟に運用されていたようです。)
シンジルト『オイラトの民族誌―内陸アジア牧畜社会におけるエコロジーとエスニシティ』明石書店、2021年、34~41ページ
そのほかの信仰―全真教、景教、仏教など
シャマニズムやイスラームのほか、全真教(道教の一派、第6幕で創始者の弟子 長春真人/丘処機が登場)、
景教(キリスト教の一派、ネストリウス派とも、トルイの妃ソルコクタニ・ベキなどが信仰(注7)、
仏教など、さまざまな信仰を持つ人々が、モンゴル帝国を往来していました。
(注7) 森安孝夫「前近代中央ユーラシアのトルコ・モンゴル族とキリスト教」『帝京大学文化財研究所研究報告』20、2021年、5~39ページ(とくに24ページ)
※電子版<https://www.teikyo-u.ac.jp/bunkazai/publication/publication1>
次回は2月25日更新です。
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