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コラム 2022.12.25

『もっと!天幕のジャードゥーガル』谷川 春菜 女ふたりのモンゴル後宮譚。毎月25日更新!

もっと!天幕のジャードゥーガル モンゴル帝国 建国までの道のり

新連載!モンゴル国立大学研究員・谷川春菜さんによる『天幕のジャードゥーガル』をもっと楽しく読める解説コラムです。マンガ本編と同じく毎月25日更新予定!

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

このコラムでは、マンガ『天幕のジャードゥーガル』の舞台となった地の歴史や文化を連載形式で紹介します。今回は第14幕までのあらすじをまとめ、そのうえでモンゴル帝国 建国までの道のりを解説します。

第14幕までのあらすじ

13世紀初頭。モンゴル帝国の侵攻を受けた街、トゥース(イラン北東部)。この街で奴隷として働いていた少女シタラは、優しい女主人ファーティマを目の前で殺されたうえ、捕虜としてモンゴル帝国の本拠地へ連れていかれることに。亡き女主人の名ファーティマに改名した彼女は、その後、ひょんなことからモンゴル帝国皇帝の第六夫人ドレゲネと知り合います。ドレゲネの過去を知ったファーティマは、ある目的のため彼女に協力するようになります。

主人公ファーティマの人生を大きく変えたモンゴル帝国は、どのようにして建てられた国だったのでしょうか。

モンゴル帝国 建国までの道のり

ユーラシア大陸の中央やや東寄り、現在の国名で言えばロシア南東部、モンゴル国、中国北部にあたる地域には、巨大な高原がひろがっています。
今から850年ほど前、つまり12世紀半ば。この高原にテムジンという人物が生まれました。当時、高原にはモンゴル、メルキト、ナイマン、ケレイト、タタル、オイラトなど、遊牧民の勢力が割拠していました。

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

モンゴルの一員として生まれたテムジンは、ケレイトの有力者トオリル(称号はオン・カン)や、金国とも手を結びつつ、他の勢力と戦い、遊牧民たちを次々に傘下に収めて、そのリーダーとなります。リーダーとしての称号はチンギス・カン。テムジンがチンギス・カンとなった1206年が、すなわちモンゴル帝国建国の年です。

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

テムジンと他勢力との戦いのうち、とくにナイマンおよびメルキトとの戦いは、ドレゲネの過去と深い関係があります。歴史書『集史1』、『元史2』、『聖武親征録3』の記録に基づいてまとめると、下表のようになります4


1『集史』は、イルハン国の君主カザンの命令により、ラシード・アッデーンが編纂し、14世紀初頭に成立した歴史書。原書はペルシア語で、ロシア語訳(Рашид ад-Дин. Сборник летописей. Академия наук СССР. 1946, 1952, 1960年)、英語訳、韓国語訳、漢語訳、モンゴル語訳があります。近年、日本語の部分訳(赤坂恒明 監訳、金山あゆみ 訳注『ラシード゠アッディーン『集史』「モンゴル史」部族篇 訳注』風間書房、2022年)も出版されました。
2『元史』は中国・明朝の洪武帝の命令で編纂され、14世紀後半に成立した歴史書。漢文。
3『聖武親征録』は成立年不明の歴史書。漢文。
以上『聖武親征録』、『集史』、『元史』に記された出来事の年代はよく一致しています。
4表の作成にあたっては、『集史』ロシア語訳、『元史』、『聖武親征録』のほか、吉田順一「元朝秘史の歴史性―その年代記的側面の検討」(『史観』78、1968年、40~56ページ)も参照しました。

干支 ナイマン メルキト
へび(1197)年 テムジンに攻め込まれる。
うま(1198)年 ケレイトのトオリル(オン・カン)に攻め込まれる。
ひつじ(1199)年 テムジンとトオリル(オン・カン)に攻め込まれる。
ドレゲネ:メルキトの有力者 ダイル・ウスン(あるいはメルキトのリーダー トクトア・ベキの息子)に嫁ぐ。
ねずみ(1204)年 ナイマンのリーダー タヤン・カン:トクトア・ベキと結んで、テムジンと戦い、敗死。 ダイル・ウスン:娘クランをテムジンに差し出し投降。その後、反乱するも鎮圧され死亡。
 
メルキトのリーダー トクトア・ベキ:タヤン・カンと結んで、テムジンと戦い、敗走。
ドレゲネ:テムジンの三男オゴタイに嫁ぐ。
とら(1206)年 テムジン:チンギス・カンの称号を得る。モンゴル帝国建国。
たつ(1208)年 タヤン・カンの息子クチュルク:トクトア・ベキと結んで、チンギス・カンと戦い、敗北。西遼に逃亡。 トクトア・ベキ:クチュルクと結んで、チンギス・カンと戦い敗死。息子クルトガンは西方に逃亡。
ねずみ(1216)年 クルトガン:テムジン(チンギス・カン)の長男ジュチに捕らえられ処刑。
とら(1218)年 クチュルク:西遼に侵攻したモンゴル帝国軍により殺される。

マンガ『天幕のジャードゥーガル』第11~12幕で描かれるドレゲネの回想は、上表の灰色部分の出来事に基づいて描かれたものです。第11幕の始まりは、ドレゲネがダイル・ウスンに嫁ぐシーンです。

『もっと!天幕のジャードゥーガル』
『もっと!天幕のジャードゥーガル』

第12幕でダイル・ウスンは、娘クランをテムジンに差し出して投降することを決意します。

『もっと!天幕のジャードゥーガル』
『もっと!天幕のジャードゥーガル』

投降後、ダイル・ウスンは反乱を起こしますが、すぐに鎮圧されて殺されます。残されたドレゲネは、テムジンの三男オゴタイに嫁ぎ生きていくことになるのです。

おまけ:「ウルス」とは?

メルキトやナイマンなどさまざまな勢力との戦いを経て建国された、モンゴル帝国。当時のモンゴル語では「yeke mongγolモンゴル ulusウルス」といいます。一方で、チンギス・カンの息子たち(ジュチ、チャガタイ、オゴタイ、トルイ)や弟(テムゲなど)の属領も、それぞれウルスと呼ばれていました。

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

このウルスという言葉について、歴史・言語学者 ウラジミルツォフは、
純粋の遊牧民たる蒙古人は、この概念中〔=ウルス〕に領土ではなく人を理解する。事実、ウルスという言葉の一義的な意味は「人」なのである5

と述べ、さらに歴史学者 護雅夫は、

ulus〔=ウルス〕は、自然発生的な基礎的社会集団ではなく、1 eǰen〔=ひとりのリーダー〕の下に、人為的にまとめあわされた〔中略〕集団6

と述べています。つまりウルスとは、ひとりのリーダーの下に組織された人の集団。そのように解釈すれば、チンギス・カンをリーダーとするモンゴル帝国の民全体と、チンギス・カンの子弟ひとりひとりをリーダーとする領民、どちらもウルスと呼ばれていたことと符合します7

ウルスは人の集団を示す言葉なので、その人たちが暮らしている場所が、ウルスのリーダーの領地になります。ただし、この領地に厳格な国境線はなく、現代の領土よりもっとゆるやかな領域でした。また人の集団といっても、現在わたしたちが「国民」や「民族」と聞いて思い浮かべるような集団よりずっと多種多様で、言語や習慣などもばらばらな人の集まりでした。

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

わたしたちがいま使っている、国境線、国民、民族といった概念が確立するのは、モンゴル帝国時代より後のことです。


5訳書:ウラヂミルツオフ『蒙古社会制度史』生活社、1941年、225ページ
原書:Б.Я.Владимирцов. Общественный строй монголов. Монгольский кочевой феодализм. 1934年、97ページ
6護雅夫「元朝秘史における《oboq》の語義について」ユーラシア学会編『内陸アジアの研究―ヘディン博士記念号』1955年、(43-83ページ)(とくに66ページ)

7補足:モンゴル帝国など遊牧民を中心とする国にとって「人」は、税を納めてくれる財産です。モンゴル帝国の民(および彼らが暮らす場所)全体は、名目上、皇帝ひとりの持ちものですが、実際には支配者層(皇帝の子弟など皇族、王族、重臣たち)の共有財産として分配されました。分配を受けた者はその臣下にまた分配していくので、ピラミッド状の重層的な分配構造ができあがります。(四日市康博「ジャルグチ考―モンゴル帝国の重層的国家構造および分配システムとの関わりから」『史学雑誌』114(4)、2005年、443~472ページ(とくに450ページ)、「モンゴル帝国の国家構造における富の所有と分配ー遊牧社会と定住社会中華世界とイラン世界」今西裕一郎編『九州大学21世紀COEプログラム「東アジアと日本―交流と変容」総括ワークショップ報告書』2007年、165~181ページ(とくに167、117ページ))

今回は一挙2更新!本編15幕に即した「モンゴル帝国お仕事図鑑」 もあわせてどうぞ。

ちひろさん
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