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コラム 2019.09.23

『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談

#42 気を使わない友達が欲しい

『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰

今週の相談:私には10年来の友人や自分を親友と呼んでくれる人たちがいますが、自分がこう言ったら相手はどう思うのか? 相手はなぜこう言っているのか?と考えながら、その友人たちと話している気がします。こんな自分は利害や損得を考えているようで、純粋に接してくれているだろう相手に罪悪感さえ抱きます。気を使わない友達をつくるにはどうすればよいでしょうか。

薄々お分かりだと思いますが、大人になってから友達をつくるのはなかなかハードルの高いことです。気のおけない仲にまでなるのは簡単なことではありません。
でも、複雑な社会に暮らす大人だからこそ、あれこれ気を使わなくて済む友人がほしいという気持ちもわかります。

ずばり言ってしまいましょう。

まったく気を使わないで付き合える友達をつくるのは、まずもって不可能です。
それは相手ではなく、自分の気持ちに起因するものです。
言い換えれば、どんな相手であっても、気を使わないで接するのは不可能だ、とも言えるでしょう。

仮に新しい友達ができたとしても、気を使わない付き合い方を自分に課すのは案外難しいものです。
なぜなら、相手の気持を推し量り、先回りし、反応を伺い、そのように気を使って接するのが質問者さんの人付き合いの仕方だからです。
よくよく考えるとモヤッとするところはあれど、それが自然で心地よいやり方だったということです。
これまでお付き合いされてきたそれなりに親しい人達、つまり、親しみを感じ、関係を大切にしたいと考える相手に対して行ってきたそれは、利害や損得を計算することとは違うのだと思います。

さて、私はよく料理をします。友人に出すこともあります。
そんなときには、「この料理を出したらあの人は喜ぶだろうか」「前回あの料理で箸が進まなかったのはどうしてだろうか」などといつも考えています。
相手のことを思いやっているように見えるこんな思考も、基準とするのは自分のものさしでしかありません。

あるいは、相手のことなんか塵ほども気にかけず、自分の作りたいものを作って出せばいい、何なら料理なんてしなくていいのかもしれません。

でもそうはせず、相手の好みや体調なんかを勝手に想像しながら、私は料理をするのです。
なぜか。そうしたいから。
料理がしたい、食べてもらいたい、どうせなら美味しいと思ってもらいたい、寛いでもらいたい。そこに利害関係や、まして損得勘定なんてありません。

自分と接する誰かの気持ちや状況を察して対応するというのは、自分がそうしたいからであり、相手のことを思いやるからです。
そのふたつに、どこかで線を引くことはナンセンスです。

そもそも、気を使わない=親しさでは断じてありません。
10年以上も親しいお付き合いを続け、あまつさえ親友とさえ言ってくれるほどの間柄です。
案外そのお友達も、質問者さんのことを気にかけ、ときに押したりときに引いたりしてくれているのかもしれません。それが、お互いを大事にする、関係を大事にする、ということではないでしょうか。
「親しき仲にも礼儀あり」です。

次回は9月30日更新です。

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憂鬱な月曜日を過ごしている方へ、ちょっとだけ心が楽になる、料理僧・青江覚峰さんによるお悩み相談コラム。一緒に今日を乗り切りましょう。

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