菊池真理子×池谷裕二 対談 「私の脳、“大丈夫”でしょうか?」(3)
菊池真理子さんの感じる”生きづらさ”の原因は脳?? 『海馬』『進化しすぎた脳』などで知られる脳研究者・池谷裕二さんが答えます。
「数学嫌い」は、脳をスキャンすれば一発でわかる。
菊池 日本人って、いろんなことを性格や努力の問題として語りがちですよね。たとえば、鬱病や発達障害の症状を「努力が足りない」という理屈で片付けるとか、「そんなことをしてしまうなんて性格がねじまがってる」と責めるとか。でもここまでのお話なんかをふまえると、やっぱり脳とかあるいは遺伝子とかの影響って、私たちが思っている以上に大きいんじゃないかなと思っていて。
(「生きやすい」より)
池谷 その通りですね。根性論で片付けてはいけないことがこの世界にはたくさんありますよ。日本人は精神論根性論が大好きだけど。
菊池 以前、友人が交通事故で首を痛めて、脳が腫れたという理由で入院したことがあったんです。そのときの彼女はもう人が変わってしまって。言っていることがめちゃくちゃなんです。治療したら元に戻ったんですけど、事故から退院までの記憶は結局全部なくなってしまいました。人間って、少し脳が腫れただけでこんなに影響を受けるのか! と驚きましたね。
池谷 脳の特定の箇所が何かダメージを受けたり、いつもと違う状態になったりしただけで言動がまるきり変わってしまう、というのはまったく珍しいことではないですね。それに生まれつきの脳の傾向によっても、体質や気質はかなり左右されます。そしてその脳は遺伝子にそってつくられる。遺伝子、そして脳の影響は、おっしゃる通りとても大きいです。
菊池 やっぱりそうですよね。
池谷 だって数学の能力なんてめちゃめちゃ遺伝しますからね。脳をスキャンすれば一発でわかりますよ、この人数学苦手だろうなって。
菊池 えーっ、私絶対にそういうタイプ(笑)。
池谷 それが外から見るとわからないから、なんでいい点とれないんだ、もっと勉強しろ、って怒られちゃうわけですよね。でもさ、そもそも数学できる遺伝子を持ってないのにそんなこと言われたって、っていう話ですよね。もちろん人によってその苦手さはそれぞれだから、努力でどうにかできる人も大勢いるでしょう。でも、中には本当にそれが難しい人もいますからね。
菊池 先生、それもっと声を大にして言ってください! 私のような人たちが救われるかも!
池谷 僕は数学できる人だから別に言わなくてもいいかな〜、なんてね(笑)。
菊池 中学や高校の頃に脳を見てもらって、「ああ、君は数学やらなくていいよ」って言ってもらえたらどんなに楽だったか……。
池谷 やらなくていいっていうのは極端だけど、違う学び方を選べるようにする、といった仕組みは必要だと思いますね。それは別に差別でもなんでもない。数学が得意な人はそれを伸ばせばいいし、苦手な人は丁寧にゆっくり教えてもらった方が絶対いいはずなので。できる人は押さえつけて、できない人のことは叩いて、という教育のあり方は誰にとっても不幸ですよね。人類の損失ですよ。
菊池 もしかして絵や文章の能力も……。
池谷 遺伝の影響はあります。僕の家族でいうと、妻は絵がうまくて僕は下手。子どもはうまいんですが、これは確実に遺伝ですね。
菊池 能力だけではなくて、たとえば依存症なんかも遺伝とは関係があるんでしょうか? 私の父はアルコール依存症だったと思うんですけど。
(「酔うと化け物になる父がつらい」より)
池谷 もちろん関係ありますよ。だってアルコール依存症になるには、お酒が好きな遺伝子と、ある程度お酒に強い遺伝子を持っていないといけないでしょ。それで言うと、日本人はお酒に弱い遺伝子の民族なので、欧米人などに比べると、アルコール依存症には比較的なりにくいと言われていますね。
菊池 うーん、遺伝の影響がこれだけ大きいとなると、なんでも精神論で片付けるのはやっぱり危険だなと思いました。
池谷 同感です。日本人は平等って言葉が大好きだけど、実はそこで言っていることは恐ろしく残酷だと思います。ちょっと何かができない人がいたらそれを全部「努力不足」って言葉で片付ける。そんなのは、脳や遺伝子の観点から見たら実は平等とは言えないですね。
脳は遺伝子から自由になるためにある
菊池 そうすると、遺伝子と脳の関係ってどのくらい深いんでしょうか。人間の性格や能力や行動が全部遺伝子で決まってしまうのだとしたら、脳がものを考える意味ってなんなのかなって……。
池谷 それはちょっと難しい質問なんですけど……僕の考えでは、人間にとって遺伝子の影響は「半分くらい」ですかね。
菊池 半分ですか。全部じゃないんですね。
池谷 もちろん。遺伝子だけで全部決まるわけないじゃないですか。だって考えてみてくださいよ。生き物って、別に脳なんてなくたって生きていけるわけですよ。杉の木とかさ、脳なんかなしで長生きしてるじゃない。
菊池 杉の木(笑)!
池谷 脳って一番エネルギーを食う器官ですからね、こんなもの持つと大変です。脳のためだけに動き回って、しょっちゅうたくさん食べなきゃいけない。杉の木から見たらバカですよ、こんな生き方(笑)。じゃあ脳を持つ利点っていったい何?
菊池 うーん……なんでしょう?
池谷 それはね、学習ができる故に、予定調和じゃない状態にも対処できるってことです。たとえば、花って春になったらどうしたって咲いちゃうでしょ。今年はちょっとやめとこっか、なんて無理じゃない。
菊池 無理ですね(笑)。
池谷 もしかしたらその年は咲かない方がいいかもしれないんですよ。気候が変化するとか、災害が起きるとかでね。でもそんなサバイバルは花にはできません。なぜかといえば、「あたたかくなってきたら花を咲かせなさい」という遺伝子が組み込まれているからです。でも人間は「今年はやめておこう」とか、なんなら「場所を変えよう」とかいったことまでできる。アフリカで生まれた人間が北極圏でも生きられるようになったりする。これは学習能力があるからですよね。脳が発達すればするほど、目の前で起きたこと、これから起きることに対して臨機応変な対応ができるようになる。
菊池 文明が発達したのも……。
池谷 そうです。文字ひとつとっても、ただ生きていくだけならまったく不要の、不自然な存在ですからね。文字らしい文字が生まれたのは紀元前4000年くらいのことですけど、それ以前の人間がバカだったかというと絶対そんなことはありませんから。むしろ人類の歴史上、99%くらいは文字なんか使っていない。そんなものを使うことを、遺伝子は想定していなかったはずです。だけどさまざまな予定不調和に適応するために文字が生まれ、「ほらここ、ハネがないからバツ!」みたいな教育によって発展してきたわけ。
菊池 たしかに……!
池谷 整理すると、まず予定調和の中でうまく生きられるよう、さまざまな設定を組み立てているのが遺伝子です。いいですか? そして脳はね、その遺伝子から自由になるためにあるんですよ。
菊池 うわあ、すっごい面白いです!
池谷 遺伝子の中に、脳という器官をつくる遺伝子があるわけでしょ。そしてその脳は、遺伝子から自由になろうとする。ということは、遺伝子の中には、「その遺伝子にしばられるな、ここから自由になれ」っていう遺伝子さえ組み込まれているということになる。矛盾しているようだけど、それが脳と遺伝子の宿命なんです。
──菊池さんが体感してきた、頭の中で声が聞こえるとか、現実感が薄れるとかいったことも、菊池さんの脳にとっては「予定不調和」に対応するための対処かもしれない。
池谷 そういうことになると思います。
文責:小池みき
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