脳研究者による究極の「悩み解決」法
菊池 先生って、細かい悩みにぶち当たった時、脳のことを考えて「俺の悩みなんて小さいもんだな」なんて思ったりされるんでしょうか?
池谷 めちゃめちゃしますね。私だって、人生凹むことはありますから(笑)。
菊池 やっぱりするんだ!
池谷 昔は悩むとよく、神経細胞を培養するためのシャーレをのぞいていました。ネズミの神経細胞なんですけど、それをこう、顕微鏡でじっと見るわけ。面白いんですよ神経細胞って。切り取ってシャーレに入れると、彼らはその中でどんどんネットワークをつくってすくすく育つんです。記憶だってシャーレの中で拡張していくし。
菊池 記憶まで!?
池谷 奥の部屋で顕微鏡見ながら「いいよなあお前ら、俺のあげた栄養ですくすく気楽に育ちやがって」なんて思っていると、ハッと我に返る瞬間があるんです。これと同じものが俺の脳みその中にもあるじゃないか。俺の中で悩みを作っているのはこの神経たちじゃないか。そうかお前か!って。
菊池 そんな形で、悩みの原因を見られるってすごい(笑)。
池谷 もっと先があります。神経細胞の中でじゃあどんな風に悩みが作られているかというと、正体は電気信号、イオンの流れなんですよ。分子が動いているだけ。つまりただの化学反応なの。細かい話になるけど、神経細胞の分子を拡大するとね、そこに小さな穴が空いているのが見えるんです。で、その穴が開いたり閉じたりすると、穴の中をプラスに電化したナトリウムイオンが流れるしくみになっている。僕らの正体は結局これなんです。小さい穴が開いたり閉じたりする、ただそれだけのことからありとあらゆる悩みが生まれているわけ。
菊池 セロトニンがどうとか、オキシトシンがどうとかいうよりもっともっとミクロなところの話ですね……!
池谷 これを見ていると不思議な気持ちになりますよ。俺のこのすごい悩みの正体はこれなのか……って、それこそ現実感がなくなってきます。最近じゃもう慣れちゃって、顕微鏡なんかいちいち覗かなくても簡単にイメージできるようになりました(笑)。
「悩みがなくなる病気」にかかった人は幸せか?
菊池 ただ、自分の悩みの正体はただの化学反応だと理解しつつ、それでも悩んでしまうのがというのが人間ではないですか?
池谷 もちろんそうですね。神経細胞の中ではただ電流が流れているだけだけど、その電流に人間は多大な意味を与えてしまっているわけですから。
菊池 以前読んだフロイトの『夢判断』の中に、印象深いシーンがあって……。ある患者さんが、「この病気が治ったら私の悩みは消えますか?」って聞くんですね。そうしたらフロイトが、「あなたのくだらない悩みは消えますよ、でも生きていく上での悩みは消えません」って答えていて。人間って一体どこまで悩めばいいんだろう? 悩みがなくなるってどういうことなんだろう? と考えてしまうんです。
池谷 ……別の角度から考えてみましょうか。あのですね、悩みや不安が消えてしまう障害っていうのがあるんですよ。
菊池 えっ。
池谷 その人たち、一見すごく幸せそうなんです。恵まれた生活をしてなくても、お金がなくてもぽわんとしている。ちょっと羨ましいかも、って思いませんか? でもね、その人たち、まるっきり生活適応力がないんですよ。たとえば鍋に火をかけたことすら覚えていられないの。ほとんどの場合、普通の生活は営めません。
菊池 なんで悩みがなくなると、お鍋のことも覚えていられなくなるんですか? 記憶力がなくなってしまうということでしょうか。
池谷 そうではなく、「記憶を保管しよう」っていうモチベーションの方がなくなってしまうんですよ。つまり、鍋に火をかけると通常、人間はどこかで「このままにしてしまったらどうしよう、大変なことになってしまうかもしれない」という不安を抱く。だからこそ鍋のことを忘れないでいられるんです。脳は、記憶力を試すために記憶を保管するわけではなくて、将来役立たせるために保管するわけですからね。だからその不安がないのであれば、記憶を保管する必要もないと脳は判断してしまう。
菊池 ああ……! そういう順序なんですね。うわあ、知らなかった。
池谷 だからこの病気にかかった人は、日常の何気ない行動でさえ満足にこなせなくなるし、同じ失敗を何度でも繰り返します。逆に言うと、日常生活を送れるのは我々が日々不安を抱き、悩むおかげなんです。悩む力があるというのは、実は生きていく上では良いことなんですよ。
池谷 脳のどこがどうなるとそうなってしまうんですか?
池谷 関連しているのは前頭葉のごく一部です。そこが何らかの損傷を受けたり、血管が詰まったりするとこういうことが起きる。外傷が原因の場合もありますが、一番多いのは脳梗塞ですね。
菊池 そういうお話を聞くと、適度に悩んで生きていこう、という気持ちになります……!
「悩み」というストレスさえ、人間にとっては「娯楽」である
──危ないのは結局、悩んだり落ち込んだりすること自体よりも、それによってものすごいストレスを感じたり、体を壊したりすることですよね。
池谷 そうです。体を壊したり、他人に危害を加えるようなことになってしまったら、それはよくない状態だと思います。そのためにはストレスはやっぱり溜めない方がいい。特に身体的ストレスはね。
菊池 ストレスを溜めないためには、何が一番大切ですか?
池谷 寝ること。これが一番です。ストレスの度合いって、血液中のストレスホルモンの量を見れば一発でわかるんですよ。お酒を飲もうが、スポーツをしようが、SNSを見ようが、ストレスホルモンの量は下がりません。まあ、ホルモンの量では測れない気分的な効果っていうのもありますし、ストレスがなさすぎるのもよくないんですけど。
(しかし作者は不眠)
菊池 え、よくないんですか?
池谷 うん、あまりにストレスがないと脳は学習能力が下がるんですよ。あとは、結局動物は常にストレスを求めて生きているものだ、ということも言えます。
菊池 ストレスを求めている……!?
池谷 これについても面白い実験データがあってね。人間って、音もない空っぽの部屋でひとりきり、寝ることも許されず過ごさなきゃいけないとなると、ものの15分で耐えられなくなるんです。しかもその人たちに、「このボタンを押せば自分に電気ショックを与えることができます」っていう選択肢を与えると、かなりの確率で押しちゃいます。たった15分の間に1回から4回、多い人で数十回から100回以上も押してしまうんですよ。
菊池 えーっ!
池谷 ちなみにねずみでも同じような実験結果が得られます。要は動物の脳って、ストレスがない状況が一番嫌いなわけ。
菊池 刺激がない状態に耐えられないから……。
池谷 だからこそ人間は、わざわざ文字だのディスコだの意味のわからないものを作り上げて、多種多様な刺激を、つまりストレスを娯楽として味わえるように文明を発展させてきたんです。
菊池 そうかあ。生きづらさに悩むことも含めて、私たちが人生で体験することは全部壮大な遊びなんだ、と考えられたらちょっと生きやすくなるのかも。
悩みや不安の裏にあるものは……?
──先生のお話を伺っていると、悩みや不安は人間にとって必要なものなんだと感じます。でも現代社会においては、「悩むのは無駄だ」「不安を感じるのは弱い証だ」といった考え方がまだまだ根強いですよね。どうしたら、悩みや不安といった「生きづらさ」の元となる感情を全否定せずに過ごせると思いますか?
池谷 悩みや不安の裏に何があるのかを考えるといいかもしれない。たとえば、人ってなぜ絶望するんだと思いますか? 未来に対して期待して、それがうまくいかなかったからですよね。絶望の裏にはいつも未来への期待がある。これ、僕はポジティブなことだと思うんですよ。それがあるから何が自分の幸せかを問い、自己投資をしていくことができるんだから。
(「生きやすい」より)
菊池 言われてみれば……。
池谷 似た動物でも、猿やチンパンジーは絶望しませんからね。これについては京都大学が、怪我や病気で半身不随になったチンパンジーを使った実験を行なっています。人間の場合は、そういった状態になるとほとんどの場合まずうつ病になる。でもチンパンジーはまったくそうはなりません。不憫ではあるけど、本人は全然気にしないんですよね。なぜなら、未来に対して期待や希望を持つ能力がないからです。「絶望するっていうのは人間ならではの才能なんだな」って、そこの先生は仰っていました。
菊池 そういう見方もあるんだってことを、あまり普段の生活の中で知る機会がないのがもったいないです。
池谷 メディアがネガティブなことばっかり報道したがりますからね。もちろんネガティブなことは知っておいた方がいい。でもポジティブな面にも目は向けてほしいですね。
菊池 先生の今日のお話がまさにそうでした! あやしい自己啓発本読むよりも、脳のお話を聞いた方がずっと気持ちがスッキリすると思う(笑)。
池谷 ま、あんまり悩まなくなると、原稿の締め切りを守んなくなっちゃうかもしれないけど(笑)。適度に悩みつつ、それだって脳にとっては遊びなんだと思っておくくらいがちょうどいいんじゃないでしょうか。
<了>
文責:小池みき
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