『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#19 親の面倒を見られずに罪悪感を感じています。
今週の相談:遠方の親の面倒を見られず罪悪感を感じています。遠方の実家に住む父が大病をし入院、現在リハビリ中であと数ヶ月は入院生活です。母と妹は毎日お見舞いに行ってくれているのに、東京にいる自分は月に1、2度しか行くことが出来ず罪悪感を感じています。
お父様のところのに行かれないことへの罪悪感ですが、あなたにもご自身の生活がありますから、できることとできないことがあるのは仕方ありません。でしたら、例えばお母様と妹さんに感謝と労いを伝えるなど、できることをするのが良いでしょう。
縁はつながるときにしか繋がりません。たまたまお父様が倒れた、たまたまお母様や妹さんが近くにいてくれた。でも、そのたまたまは、あなたとはつながっていなかった。これは仕方がないことです。
因果という言葉があります。
種を蒔いたら花が咲く。この、種を蒔くという好意と花が咲くという現象の間にあるのが縁です。
今、我が家ではかいわれ大根を育てています。小さな種をたくさん置いても、全ての種から芽が出るわけではありません。水のあげ方も、陽の当たり方も同じなのに、芽が出るものとそうでないものがあります。どうしてそうなのかはわかりません。わからないけれど、原因と結果を結んでいるものがたしかにある。それが縁。それは人の力の及ばないものなのです。
今回のことは、お父様が入院した場所と自分の居場所がたまたま遠かったということです。遠くに暮らしているときに、お父様が病気になってしまった。自分は簡単に通えるような環境にはいない。たまたまの積み重なり。それはもう誰にどうできるものでもありません。
けれど、そうは言っても、はいそうですねと割り切れないのも家族の情。
お母様や妹に感謝や労いを、お父様には心配している気持ちを伝えたり、余裕があるなら経済的な支援をしたりと、お見舞いに行く以外にもできることはあるかもしれません。
そんなふうに、自分にできることを考えて一つずつ実行していくことで、お見舞いに行かれない罪悪感の解消にはつながるのではないでしょうか。
次回は3月18日更新です。
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