『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#53 容姿への執着をなくしたい。
今週の相談:現在大学生の女です。昔から自分の容姿が好きではなかったのですが、大学で可愛い友達を見てコンプレックスが加速し、今は身じたくに毎朝2時間かかるような状態です。つらいしもうやめたいのですが、どうしたらこの執着をなくせるでしょうか。
容姿へのコンプレックス。お気持ちはよくわかります。
私自身も一重まぶただとか、短くて閉じたまつげだとか、厚い唇だとか、容姿に関してはコンプレックスの塊です。加えて最近は歳のせいかお腹も出てきて、人様に胸を張れるようなところが何もないように思えてしまいます。
普段は気にしないようにしようと思っていても、こんなふうにコンプレックスを冷静に挙げ連ねると、やはり凹みますね。
まぁ、でも、人相なんて人の感覚次第、捉えようですし、どんな人でもコンプレックスの一つや二つ持っているものです。
仏教においては、最も素晴らしい顔つきとされるのはやはり仏様です。
ぽってりとした下膨れの輪郭からして、現代の私たちが「かっこいい」だとか「かわいい」だとか感じる面立ちとは相違があると言えるでしょう。
その上おでこには白毫(びゃくごう)と言われる丸いものがあり、その正体は長い白髪が丸まったものなのです。もし自分のおでこにそれがあったらと思うと、正直あまり歓迎できる気はしません。
でも、仏教においては仏様のその人相が最高に素晴らしいとされていますし、実際仏様のお顔をじっと見ていると、ときに癒やされ、ときに諭され、ときに励まされ、なんとも言えず良い気持ちになってきます。それは、お釈迦様の生き様や、残してくださった教えの尊さがお顔立ちに表れているからなのです。
決して、お釈迦様ご自身が、こういう顔になりたいと思ってそうなったわけではありませんし、遠い未来を生きるわたしたちが、福々しいお顔立ちだ、神々しいお姿だと思わず手を合わせたくなるのも、結果としてそうなったものでしかありません。
自分の顔が人にどう映るのかなんて、気にしても仕方ないものです。美醜にも流行り廃りがあります。相手の好みもあります。
家族や親しいご友人との関係が、今さら顔がどうのこうので変えようとは思わないでしょう。
生まれつき、多くの人から好ましいと思われるような姿を持っている人はたしかに幸いです。
けれど、自分がどのような人と出会い、どのような付き合いを重ね、どのように生きるかが、顔で決まるわけではありません。
’80年代に活躍した、NBAのスパッド・ウェブという選手が「小さかったら高く飛べ」という名言を残しています。
彼の170cm(一説には168cm)という身長は、NBAの選手として極めて異例の低さであり、大変なハンデであると同時にコンプレックスでもあったでしょう。
しかし、それはそれとして受け止めた上で、目標に向かって努力し、プレーにも工夫を重ねた彼は非常に息の長い選手として現役で活躍を続けたのです。
誰にだってコンプレックスはあるものです。
それを克服するために、例えば一生懸命メイクするのだって、いいじゃないですか。
朝の2時間をかけるのは、それはそれで大変な苦労だと思いますが、本当につらくなったらそのうちやめるときもくるでしょう。
小さかったら高く飛べばいいんです。
メイクに凝りたいなら早起きすればいいんです。
どちらも義務ではありません。
違う、嫌だ、と思ったらやめればいいんです。
そのときはきっと、なりたい自分になるためにとことん努力した経験が、心と体に積み上がっていることでしょう。やれるだけやってみたんだ、という達成感もあるでしょう。もしかしたら、メイクのスキルが上がって、10分15分で理想の顔をつくれるようになっているかもしれません。
大切なのは、自分の行いに自分で「良し」を出すこと。
それが、めいっぱいメイクした顔でも、すっぴんでもいいんです。
これがわたしの顔なんだと堂々と生きていけば、それが周囲に認められたとき、どんな顔でも「いい顔」になるものです。
次回は12月16日更新です。
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