『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#68 人に怒れません。
今週の相談:「これは怒ってもいい」と周囲に言われても、怒ることができません。怒りの感情はあるのですが、うまく出せなかったり、出す前に出しても無駄だ、と思っているうちに怒りが鎮火してしまい怒ることができません。
そもそも多くの人は、怒りたくないのに怒ってしまう、怒りすぎてしまうことに思い悩んでいるものです。
世の中には、怒りで我を忘れて行き過ぎた暴言や暴力に走ってしまう人もいて、それが事件にまで発展してしまうケースがあることを私たちは知っています。多くの人が、怒りの感情を小さくしたい、コントロールしたいと願い、最近ではアンガーマネジメントという分野も注目を集めているほどです。
人間は感情を持つ生き物です。喜怒哀楽があります。ですから怒りの感情があるのは当たり前のことです。当り前に抱く感情をどのように表現するかが問題です。
お酒を飲んで泥酔しトラブルを起こしてしまう場合と似ているかも知れません。お酒自体が問題なのではなく、酔っ払って理性をなくしてしまい、それによってとる言動がトラブルになるというわけです。(「酔うと化け物になる父がつらい」)
そういった意味では、怒りが表に出ないことで、少なくとも周りの人に迷惑をかけることはなさそうです。
とは言え、ご本人としてはなんだかすっきりしない思いを抱えておいでなのでしょう。
怒りの感情がたしかにあるのに、それをずっと表に出さないでいるのはストレスなのかも知れません。
でも、あえて「そのままでいいんですよ」と申し上げます。
怒りの感情を持つのはごく自然なことです。それを上手くコントロールできないのも、人間であればこそ仕方のないことです。怒りすぎてしまって自己嫌悪になったり、周囲の人と気まずくなったり、それで謝りたいのに謝れないとまた悩んだり。人間てそういう生き物です。それが行き過ぎて病院や警察のお世話になるほどであれば、なんとかして解決しなければと専門家の知恵を借りることもあるでしょう。社会的な生き物でもある人間であればそれもまた当然のことです。
けれど、怒りを顕にせずに済んでいるのなら、わざわざそこに「問題」を見出す必要はありません。怒りたいのに怒れない、怒りを溜め込んでいるのがつらい、いつ爆発するか気が気でない、というのならその限りではありませんが、いつの間にか怒りが鎮火しているなら、何も困ったことはないのではないでしょうか。
「怒ってしまう」のが普通である周りの人からすれば、「そこは怒っていい」と感じる場面もあるでしょう。けれど、怒ってもいいとは言え、怒らなくたっていいのです。むしろ、怒らないでも自分の気が済むならそのほうがいいに決まっています。
例えば、いけないことをした子どもを親が「叱る」のと、感情論として「怒る」のは違います。
怒らなくてはいけない場面などないと言ってもいいでしょう。怒ることができないことに、何を心配することもありません。そのままで大丈夫ですよ。
次回は4月6日更新です。
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