『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#72 疲れることが分かっていてもSNSを見てしまいます。
今週の相談:やらなければならないことがある時でも、ついついSNSを覗いてしまいます。普段はあまりSNSを見ないのですが、緊急時の情報収拾として見はじめました。そこでいろいろな人の怒りや対立を目の当たりにして、つらい気持ちになることばかりです。でも見てしまいます。
はじめは緊急時の情報収拾として見始めたとおっしゃっていますが、必要で、信頼性のある情報を入手するのなら、例えばニュースアプリを入れるとか、行政のサイトをチェックするということでも対応できるはずです。
でも、ついついSNSを見てしまうのは、ある種の中毒のようなものなのかと思います。素人(専門家の場合もありますが)が大きな責任を負わない場で書く言葉は、報道でもたらされるものよりも、スピードが速く、生々しく、センセーショナルです。刺激が強いわけです。
人は、大きな声、強い言葉に惹きつけられてしまうものですから、知らず知らずのうちにSNS上の情報ばかりを頼るようになってしまうのは当然の結果だとも言えるでしょう。
大人は誰でも、何年も何十年もかけて、例えば自分のモチベーションの上げ方やストレスの減らし方など、一言でまとめれば、社会の中で自分がうまく生きていける方法を考え、つくっています。
ところが、その前提となる「社会はこういうものだ」というベース自体、つまり自分の日常生活のあり方が昨今の新型コロナ肺炎の広がりとともにがらりと変わってしまったわけです。
これまでも、SNSに一切触れなかったわけではないでしょう。それでも、基本となる日常があったから、そこまで生活を左右されずにうまくつきあってこられた。それが今、ずっと続けていたルーティン、自分を律するもの、縛るものがなくなり、刺激だけが残ってしまった。
とは言え、SNSに求めるものがきちんと満たされ、過度に影響されたところで特段何の問題もないというのなら、そんなに面白いものを無理にやめる必要はありません。
しかし、実際には、「いろいろな人の怒りや対立を目の当たりにして、つらい気持ちになることばかり」だと思っている。「社会の中で自分がうまく生きていける方法」が適切に機能していないわけですね。
だとしたら、この変わってしまった社会の中で、うまく生きていける方法をもう一度見つけ出すしかないですよね。
世の中は諸行無常、社会は常に変わり続けています。たまたまこの数十年の間、これだけの規模で影響の出る変化がなかっただけで、これからも変化し続けると弁えて生きるしかありません。
今、ここにいる 自分。それが何を思っているのか、何をしたいのか、何をするべきか。どうありたいのか。じっくりと考えてみて、そのために必要なこと、やりたいことを粛々とやることに意識を向けてみてはいかがでしょうか。
次回は5月4日更新です。
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