『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#76 マッチングアプリ経由で知り合った恋人が音信不通になりました。
今週の相談:共通の知人などもいないので手の打ちようがなく、ただただむなしいです。連絡を無視されている時点でもう復縁は諦めていますが、夜ひとりでいると自分がすごく無価値な存在に思えてきます。
気軽に出会える分、簡単に繋がりが切れやすいのが、マッチングアプリの良いところでもあり、悪いところでもありそうです。
そもそも、アプリを利用するきっかけの一つに「手軽だから」というものもあるわけですから、そこで得たつながりがお手軽に切れてしまうのも、まあ仕方ないと言えなくもありません。
昔から「あぶく銭は身につかない」なんてことを言います。他にも、試験前に一夜漬けで叩き込んだ内容はすぐに忘れてしまうだとか、急激なダイエットはリバウンドしやすいとも言います。
恋愛も同じことで、学校や職場、趣味の集まりなど、もともとあった繋がりの中での出会いであれば、多少具合の悪いことがあっても今回ほどあっさりと音信不通にまでなることはないでしょう。
お互いにある程度のバックグラウンドがわかっていて、面倒くさいしがらみの中でじっくりと人となりを知っていった場合は、関係を変えるのにも面倒くささがつきまとうもの。
良くも悪くも、簡単に切った張ったとはいかないのです。
そう考えると、「自分たちは恋人」だという意識自体に、相手の方との温度差があったのかもしれません。
さて、こうやって書くと縁は自分の意志でつなげたり切ったりすることができるように見えますが、僕はそうは思っていません。
縁は自分の思いがどうであれ、つながるときにつながるもので、切れるときは切れるもの。それはマッチングアプリでも、同僚でも、お見合いでも同じです。
一言で言えば、「縁がなかった」の言葉に尽きます。
縁がなかったものを、今になっていくら嘆いても仕方ありません。自分自身の価値や魅力とは全く違う話です。その相手とはそういう縁ではなかったということです。
どんなに悲しい気持ちに沈んでいても、人生はまだ続きます。次の縁もあるでしょう。それがいつ現れてつながるかは誰にもわかりません。
今回のように、つながったと思ってもそのうち切れてしまうかもしれません。反対に、生涯の伴侶になり得るかもしれません。
先のことは誰にもわかりませんから、そのときそのときに、目の前にあるものを大切にするしかありません。
次回は6月1日更新です。
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