『セトウツミ コノモトメモ』 此元和津也 『セトウツミ』の作者自身によるレビューエッセイ!
#6 ノスタルジー (『第6話 先祖と子孫』)
セトウツミの作者・此元和津也が1話ごとの裏話と思い出を漫画と共に語るレビューエッセイ。
レビュー後の漫画とあわせてお楽しみください!
ノスタルジー
絵が特別うまいわけではない。何かに夢中になるほどまっすぐ生きてもこなかった。
そんな僕がエンタメの世界で真ん中を歩きたいという夢を抱く。
夢が叶う人と叶わない人の差はなんなんだろう。有精卵と無精卵のような、絶望的な隔たりがあるのではないか。中途半端な才能こそが何よりも悲劇ではないのか。
2013年の7月。連載が始まって6か月。この時点での「セトウツミ」の評価は、雑誌を買ってる一部のアンテナ感度の高い人には引っかかりはじめてはいたが、世間的にほぼ無風といっていい。
2023年の7月。仕事場として借りたマンションの下には七夕の笹が設置されている。ちょっと浮かれたマンションなので「担当が振り向きますように」みたいなホス狂いの女や「インフルエンサーになって金儲けしたい」といった俗物的な男の願いが呪詛のようにぶら下がっている。
「めちゃめちゃに売れたい。たくさんの人を楽しませたい。そして、もっと幸せになりたい」
住民たちと大して変わらない願いを、書きかけてやめた。
10年前と現在を行き来するこの連載は、ちょっとしたサクセスストーリーとして読んでもらうには無理があるように思う。
なぜなら残念なことに、10年前に比べて今幸せか?と問われれば素直に肯定できない。
どうしても、当時の苦しみは忘れ去られ、現在の苦しみがフォーカスされる。
冬の寒い日、体育の授業でポートボール。先生から当てられずに済んだ授業。重いランドセルを背負って下校。片側四車線もある大通りの長い歩道橋。黄色い帽子の集団。好きな子が手を振った。宿題は容易い。暗くなるまで友達とゲーム。おばさんが出してくれた温かいココア。明日は休み。家に帰ると石油ストーブとシチューの香り。
これに勝てない。
痛みや苦しみといった不純物だけが取り除かれ、美しくろ過された思い出に、幸せで勝てない。
役に立つはずの知識や経験が、幸せの前に立ちはだかる。
「売れても売れなくてもつらいんだよ」
この連載が続いていたら♯30ぐらいで出てくる、ある漫画家が僕に言ったセリフだ。
生まれ育った街を何年かぶりに歩いた。通っていた幼稚園、友達が住んでいた団地、遊んでいた公園、親と行った喫茶店、きょうだいと行った商店街、どれも懐かしくて思わず声が出るほどの高揚感の裏っ側に、受け入れ難いほどの、厭世的な感情がリバーシブルのようにへばりついている。
それは、どう考えても希死念慮だった。
ノスタルジックとセットになったこの“死にたい”という感情の暴力性は強烈だ。
細分化された様々な感情の全てに、生存競争で勝ち抜き繁栄していくための意味があるのだとするならば、あの死にたさは、振り返ることへの危険信号であり、前を向けという指令なのかもしれない。
「ノスタルジーは病気」
これはオッドタクシーでセリフとして書いた。
傷つく人がいるかもしれないから補足すると、今を否定しているとか、そういうことではない。
懐古主義気味だけど、楽しさは更新されてるし、ちゃんと幸せは感じている。今の方が良いと思うこともたくさんある。
つまり何が言いたいかというと、忘れたくないということ。創作に向き合うために、心の水準をそこでとどめておきたいということ。そして、記憶を辿るこのエッセイは時に危険だということ。
でも大丈夫。振り返りながら更に駆け上がっていくから見ててほしい。
第6話。
面白い。瀬戸と内海の人間性が垣間見えつつ、哀愁があってオチまでの流れも美しい。
遠くにいる人影が、こっちに来てるのか向こうに行ってるのかわからない。みたいな、取り立ててそれ言う?みたいなセリフも好き。
「これ取ったほうが勝ちな」
死にたくなるほど童心に帰ったセリフもいい。
漫画 『セトウツミ 第6話 先祖と子孫』はこちらから
【漫画部分の公開は終了しました】
次回は7月14日更新です。
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