『セトウツミ コノモトメモ』 此元和津也 『セトウツミ』の作者自身によるレビューエッセイ!
#9 山頂に咲く一輪の花(『第9話 表とジョーカー』『第10話 裏とババ』)
セトウツミの作者・此元和津也が1話ごとの裏話と思い出を漫画と共に語るレビューエッセイ。
レビュー後の漫画とあわせてお楽しみください!
山頂に咲く一輪の花
信じられないことを言われた。
「単行本の販売促進として2か月連続2本立てをやりましょう」
月に1本のアイデア出しと作画の規則性にようやく慣れだした頃だった。
1話完結の物語を2か月で4本。単純に作業量が2倍。しかもカラーもある。
面倒くさい。超絶に面倒くさい。
僕は忙しいと駄目になる人間だった。ひどい時はエナジードリンクでギリギリまで起きて、限界が来たら、ぐるぐるに回転する頭を入眠剤で無理やりスイッチを切るように眠る日が続く。仕事にリソースを全注ぎし、その他のことは一切できなくなる。だからといって全注ぎしたはずのリソースが機能するわけでもなく、ただただ夏休みの最終日みたいな気持ちで、宿題を広げているだけの作業効率の悪い人間ができあがる。
これが続くと、やがて機嫌と集中力と気力を失い、最終的にはなんのために生きてるのかわからなくなっていく。
「此元さんって面倒くさいってよく言いますよね」
最近、仕事相手から言われた。親しい人には言うかもしれないけど、仕事相手にそんなこと言うはずはないので、よく聞いてみると、作中に面倒くさいという言葉がたくさん出てくるということだった。
面倒くさがりを治す薬があったとしても、それを手に入れるための必要な手続きが3つぐらいあるのなら面倒くさくて諦めると思う。
しかし面倒くさいという感情は、効率化の促進を強化させる機能を併せ持つ。このままではしんどい思いをするかもしれない、という人体の危険への緊急脱出先にイノベーションが発生する余地が生まれる。
そもそも「セトウツミ」が生まれたのもこのマインドだった。
舞台固定の会話劇というこの作品の性質は、一見とんでもない足かせだけど、続ければ続けるほど、背景やキャラのストックが増え続け、作画コスト的にはどんどん楽になっていくという、多くの果実を得るための幹の太い技術を確立させたジェネラル・パーパス・テクノロジーだった。知らないけど。
僕は、この面倒くさがりを利用しようと思った。
物語作りは山の上に花が咲いているかどうかを確認しに行く作業に似ている。
場数を踏んだ人や一流は、この辺のルート選択を淀みなくできるのだろう。
僕はひたすら一輪の花を求めて頭の中で山に登る。このまま行けばあるのではないか。
途中で引き返すこともよくある。そして別の山に登る。これを繰り返す。
この、テクノロジーとは真逆にある面倒くさい工程は決して無駄な作業ではなく、たまに思わぬ副産物を生むこともある。
物語がふたつ誕生するのだ。
長編でも短編でも、物語をひとつ作るとふたつできる法則。これはわかる人にはわかると思う。
山登りのたとえの中で別のたとえを出して申し訳ないけど、卵白を使って料理すると卵黄が余るみたいな。
似たようなものがふたつできることもあれば、物語の表と裏ができることもあるし、全く関連性を感じさせないふたつができたりもする。
面倒くさいので適当に説明するけど、たぶん脳みそのあれがああなってその刺激によってあれがばーんってなるんだと思う。
10、11話。
完全に天才の所業だけど、紐解くと面倒くさがりが生んだイノベーションだった。
同じ絵を流用できれば作業量は1本分に近づけることができる。それにひとつ作ればふたつできる法則を利用し、そこにギミックを織り交ぜ、表と裏を完成させた。
更に審判の田中くんや、顔の覚えられない馬場くんといった副産物の副産物とでもいうような、小さな果実を手に入れる。
この時の僕は調子が良かったと思う。初めて創作の楽しさを感じたのもこれぐらいの時期だった。
そう、この時までは……。
漫画 『第9話 表とジョーカー』『第10話 裏とババ』はこちらから。2本立てでどうぞ。
【漫画部分の公開は終了しました】
次回更新をお楽しみに。
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