哲学が効く!第1回 | Souffle(スーフル)
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トピックス 2019.11.26

【特集】

哲学が効く!第1回

哲学者の苫野一徳さんの全6回の新連載がスタート!孤独や劣等感、そんなものから抜け出したい──自分が抱えるモンダイを克服した苫野さんの、やさしい哲学入門です。

わたしは哲学者というのをやっています。

哲学者、と聞くと、多くの方は、何だかよく分からない、難しいことをごちゃごちゃダラダラ考えてる人、という印象を持たれるのではないかと思います。そもそも何をやってるのかよく分からない、という方も、きっと多いのではないかと思います。

哲学者とは何か。その答えは、じつはとてもシンプルです。

自分にとってどうしても解かなきゃいけないモンダイを、とことん考え抜いて解く。それが哲学者の仕事なのです。

その際、哲学者は、そのモンダイや物事の「そもそも」「根っこ」「本質」を、徹底的に追い詰めて考え抜くという方法を取ります。その「奥義」とも言うべき思考の方法については、またおいおいお話ししていくことにしたいと思います。

さて、わたしにとっての、どうしても解かなきゃいけないモンダイは、長らく次のようなものでした。

多様で異質な人たちが、どうすればお互いに分かり合い、認め合うことができるだろうか?

子どもの頃から、ずっと考え続けてきたモンダイです。

幼い頃から哲学的な少年だったわたしは、それゆえになかなか友だちができず、長い間ずっと孤独感を抱えていました。いや、傍目には友だちはきっといたと思うのですが、主観的には、だれも自分のことなんか理解してくれないと、独りよがりにも感じていたのです。

なぜ生きているのか、なぜ生まれてきてしまったのか。小学校低学年の頃から、そんなことばかり考えていました。そうしてますます、友だちがいなくなっていきました。

子どもの頃に一番怖れていた先生の言葉、それは、「はい、じゃあ好きな人とグループ組んで」というあれでした。わたしはこれを「悪魔の言葉」と呼んでいました。グループを組める相手なんていなかったから。だからこの言葉が発せられるたびに、「先生、トイレ行っていいですか?」と言ってトイレに行き、戻ってから、「先生、トイレに行っていたのでグループ組めませんでした」と、どこかのグループに割り振ってもらっていました。学校生活は、わたしにとって、ある意味つねにサバイバルでした。

そうした生活が続く中で、わたしは徐々に神経や精神を病んでいくようになりました。

最も辛かったのは、物心ついた頃から30年近く続いた「過敏性腸症候群」。緊張すると下痢になる、一種の神経症です。

ほとんど何でもないことに緊張して、突然下痢になるのです。バスに乗れば、下痢になる。スーパーに行っても、下痢になる。「トイレに行けない」と少しでも思えば、必ず下痢になるのです。

もちろん学校は地獄でした。教室は、ただただ腹痛に耐えるだけの場所でした。だから、毎日お尻に消しゴムをつめていました。この下痢は、絶対に人に知られてはならないと思っていました。

中学2年の時に「便所飯」を始めました。ご飯をいっしょに食べる友だちがいないのが恥ずかしいので、トイレで弁当を食べるというやつです。友だちがいないだけじゃなく、しょっちゅう下痢になっていたわたしにとっては、おあつらえ向きの場所でした。もう25年も前の話ですから、じつはわたしは便所飯のパイオニアなのです。

どうせだれも、自分のことを分かってくれない。分かるはずがない。いいや、分かられてたまるか。わたしはいつしか、どんどん意固地になって、そう思うようになっていきました。

でもその一方で、本当はこうも思っていたのです。

人はどうすれば、お互いに分かり合うことができるんだろう、認め合うことができるんだろう……。

長らく抱えていた孤独感や劣等感から、わたしは本当は抜け出したかったのです。

哲学に出会って、わたしはこうした自分自身のモンダイを克服することになりました。じつは哲学には、このようなさまざまなモンダイを解き明かすための、2500年にもおよぶ知恵があふれているのです。

この連載では、そんな哲学の英知の結晶の数々を、とりわけ何らかの「生きづらさ」を抱える方々に、お届けしたいと思っています。

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次回に続く

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