『もっと!天幕のジャードゥーガル』谷川 春菜 マンガがもっと楽しくなる必携コラム!毎月25日更新!
モンゴル帝国史研究者に聞く――白石典之氏
モンゴル国立大学研究員・谷川春菜さんによる、大好評のモンゴル帝国コラム連載!
このコラムでは、マンガ『天幕のジャードゥーガル』の舞台となった地の歴史や文化を毎月連載で解説してきました。
この数か月は趣向を変えて、『天幕のジャードゥーガル』読者のモンゴル帝国史研究者の方々に、マンガで描かれた歴史上の出来事や人物像に対する感想、また元ネタや結末を知った上での楽しみ方についてインタビューしていきたいと思います。第2回は白石典之(しらいし のりゆき)氏にお願いしました。お引き受けくださり、誠にありがとうございます。
――ご所属と研究テーマを教えてください。
新潟大学人文学部の白石典之と申します(詳しくはこちら)。専門はモンゴル考古学です。チンギス・カンの時代(13世紀初め頃)にモンゴル高原にいた人々の暮らしを復元し、そのなかから、チンギスがなぜ強大化し、モンゴル帝国という大きな国をつくることができたのか、そのメカニズムを解明しようというのが、研究の大きなテーマになります。
――『天幕のジャードゥーガル』を知ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
昨年、淑徳大学教授の三宅俊彦さん(みやけ としひこ、詳しくはこちら)とモンゴル国で発掘調査を行ったのですが、彼がマンガやアニメ大好きな人で、彼から『天幕のジャードゥーガル』というおもしろいマンガがあると聞いていました。
発掘中、日本学術振興会 科学研究費助成事業「政治中心の移動と水系:アフロ・ユーラシアにおける集団・国家の形成と拡大と首都圏」のみなさんが見学に来られて、それに同行していた谷川さんがコラム「もっと!『天幕のジャードゥーガル』」連載を担当しているとうかがいました。
モンゴル史研究者のなかで話題になっていて、おもしろい作品ということだったので、帰国後さっそく既刊3巻を購入して拝読しました。マンガというジャンルを超えた壮大な歴史絵巻で、モンゴル帝国史っておもしろいなというのを改めて思い起こさせてくれた作品です。たいへん感謝しています。
――学生さんと、あるいは研究者間で『天幕のジャードゥーガル』の話をすることはありますか。
新潟大学では日本考古学に興味を持つ学生ばかりを指導しているため、モンゴルのことを語る機会はあまりないんです。研究者間では、たとえば先日開催されたシンポジウム「モンゴル帝国史研究の現在と課題」(2024年6月22日、内陸アジア史学会主催)の会場でも話題になっていて、みんな読んでるんだなっていうのがわかりました。
――『天幕のジャードゥーガル』における歴史上の出来事や人物の描き方について、どのようなご感想をお持ちでしょうか。
小説『チンギス紀』(北方謙三 作、集英社)など、チンギスの時代を扱った作品は多くありますが、その後のオゴタイ・カアンの時代を扱った作品は少なく、そのなかでもとくにイスラーム系の人々にスポットを当てたのは、トマトスープ先生が初めてなんじゃないかと思いますね。
『天幕のジャードゥーガル』の主人公ファーティマのモデルになった人物に関して、歴史書『集史』に記述がありますが、私自身はあまり興味がなく、読み飛ばしていた部分でした。トマトスープ先生はどうしてここに目をつけられたのでしょう、作家として惹かれるところがあったのでしょうか(注1)。
人物の描き方については、『集史』や『元史』といった歴史書から受け止められてきたイメージとはかなり違いますよね。この人はどう描かれるんだろうっていうサスペンスのような緊張感、ドキドキ感があります。非常に怖くて冷たいイメージで受け取られてきた人物が、実は裏に優しさがあるキャラクターとして描かれ、それによって一人の人間が豊かに見えてくる。しかも絵が愛らしいから、もう誰も憎めないですよね。一人一人懸命に生きていたんだなと。結末を知っているがゆえの複雑さはありますけど、本当の世界っていうのはこうだったんじゃないかなって、マンガを読んでいて思いました。
トルイ(チンギスの四男でオゴタイの弟)については、こんな軽い人間だったかなと思いましたけど、彼は四男だし、意外とこれもいいんじゃないかと納得しました。
個人的には、ゲル(天幕)の配置や、そのなかの間取りなど、風景の描写にも着目しています。トルイの妻ソルコクタニのゲルに、彼女が信仰していたとされる景教(ネストリウス派キリスト教)の特徴的な十字架が置かれていたシーンは印象的でした。こうした一つ一つの描写が丁寧で、この人は嘘をつかないという信頼がありますよね。この信頼があるからこそ、人物の描き方がイメージと違くても、こういう考え方もありだなと思わされる、そういう作品になっているのだと思います。
ゲルを載せた車が牛に牽かれているシーンも、正面からとか横からとか後ろからとか、いろいろな角度で見せていますが、どれもよく描かれていてさすがです。
あとは、主人公ファーティマがドレゲネの世話をしているシーンで、体を洗ったか何かで使った洗面器の水を、ゲルから外に持ち出して捨てるところがあったんですよ。洗面器の水をゲルから2~3歩歩いたところで捨てるの、あれって今のモンゴルの人もよくやりますよね。こういうモンゴルあるあるもリアルに描けるのかとびっくりしました。
マンガ第1巻初めのほうのイスラーム建築の描写にも感動しました。部屋のなかはもちろん、屋上から盤を落とすというシーンもあったのですが、住んだことがないとありえないような発想で、もしかしたらトマトスープ先生はウズベキスタンの出身なのかな、なんて思ってしまいました。
ただゲルが描けますとか、ただイスラーム建築が描けますという人は世のなかにたくさんいると思いますけれども、そこに生きている人間まで含めてリアルに描かれているのがびっくりですし、たいへん感動しました。
そういえば作者のトマトスープ先生、5月くらいにモンゴルへ行かれていましたよね。SNSで、トマトスープ先生がドイティン・バルガス遺跡に行かれたっていう記事を偶然見かけたんです(注2)。現地に足を運ばれて、実証的に描かれているところ、たいへん勉強熱心だなあと感じます。
(注1) ファーティマに着目した理由
チンギス・カンからモンゴル・ウルスを引き継いで統治システムを整えたオゴタイ・カアンには、チンギス・カンとは違った凄さを感じて興味を持ちました。オゴタイの時代には世界中の様々なバックグラウンドを持つ官僚や武将たちが活躍しているところも面白いです。そして強大なイメージのあるモンゴル帝国の中枢で、(私が初めて読んだ本には第六妃と紹介されていた)ドレゲネと、捕虜としてイランからやって来たファーティマという二人の女性が暗躍していたと知った時、彼女たちがどのように生きてきたのか想像したくなったのがきっかけです。
(注2) トマトスープ先生のモンゴル調査について、詳しくは本コラム「遺跡・博物館めぐり【2024年5月最新】」
――『天幕のジャードゥーガル』ストーリーの元ネタや結末のかなりの部分を研究上ご存じと思いますが、そのうえでどのようにマンガを楽しんでいらっしゃるのか、教えていただけますでしょうか。
私たち研究者は、1233年の何月にはこうだったというふうに、歴史を一瞬一瞬切り取って紙芝居のように考えています。それに対して『天幕のジャードゥーガル』は、その紙芝居一枚一枚の間を補って動画を作るような形で、一つ一つの場面を生き生きと描かれています。一瞬一瞬がどういうふうにつながっていくのか、一巻一巻、一ページ一ページ見ていくのが楽しみです。
『天幕のジャードゥーガル』を読んでいると、とても勉強になるんです。私が書いているものって一瞬一瞬を集めるだけだから、研究者以外の方から見たら、きっとすごくつまらないんだろうなと思って。研究というのは切り取ろうとするでしょう。でもこういう作品はつなげよう、つなげようとしています。私自身も、もうちょっとストーリーを考えて書かないとだめだなと反省しました。
――白石先生のお話をうかがい、『天幕のジャードゥーガル』ストーリー構成の巧みさ、おもしろさを改めて感じました。このたびはインタビューにご協力くださり、ありがとうございました。
次回は8月25日更新です。▶︎▶︎▶︎マンガ本編はこちらから
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