『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#71 涅槃に行くにはどうしたらいいですか。
今週の相談:仏教で涅槃を知りました。来世の話になるたび、なんの気無しに強いて言えば草木か昼下がりの空気が生き物ならそれが良いなと思っていました。ポカポカとしてる動物や人がいる状態そのものが幸せな気がしたからです。無礼であれば申し訳ないのですが、涅槃はそれに似ている気がしました。自他のない微睡んだ状態の涅槃に心惹かれました。行きたいと思って行けるところではないと思いますが、涅槃に行く方法を知りたいです。また青江さんは涅槃へ行きたいと思いますか。
「涅槃」とは「迷いの火を吹き消した状態」と言われています。仏教の理想である、仏の悟りを得た境地と言い換えてもいいでしょう。反対に言えば、生きている時間はたくさんの迷いに左右されているということです。涅槃とはそれがなくなった状態。もちろん、私自身も涅槃に行きたいと思っています。
では、どうすれば涅槃に至ることができるのか。仏教には様々な宗派があり、それぞれに道を示しています。わたしの所属する浄土真宗では、その方法として「南無阿弥陀仏」を唱えることを教えています。南無阿弥陀仏とは、阿弥陀様に呼びかける言葉。阿弥陀様の名を呼びかけて自分に気づいてもらい、極楽浄土に連れて行ってもらうのです。そして極楽浄土での修行を積んだ果てに涅槃に至るのだと説いています。
さて、そもそも涅槃という言葉を紐解くには、古代のインドの死生観をお話しなければならないでしょう。
申し上げたように、生きている間は迷いに惑わされていますので、涅槃に至るには「死ぬ」ことが前提となります。しかしながら、古代インドでは死しても必ず何かに生まれ変わると考えていました。よく言う輪廻です。しかも、人間に生まれ変わるとは限りません。虫や動物かもしれませんし、生まれ変わった先が地獄かもしれません。迷いに囚われ苦しんでいる現世より、さらに深い苦しみを背負うかもしれないわけです。何度生まれ変わろうと、苦しみの生は終わらず迷いや嘆きの中をもがき続けるというのが古代インドの死生観です。その中で、この輪廻の輪から唯一抜け出すのが解脱であり、涅槃です。言うなれば、延々と罰ゲームを続けるすごろくの中で「あがり」になるようなものです。
もう二度と生まれ変わることがない=苦しむことがないという安心感は、なるほど、昼下がりの空気やぽかぽかと憩うている様子に似ているかもしれませんね。
次回は4月27日更新です。
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