『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#16 人からどのように思われているかがいつも気になってしまいます。
今週の相談:人からどのように思われているかがいつも気になってしまいます。
人の目が気になるといっても、例えばそれが自分の知らないところで褒められていたとか、好意を寄せられていたというのであれば、受け取り方は全く違うでしょう。つまり、人からどう思われているか気にしすぎてしまうというのは、「悪く言われたくない」という気持ち、もっと言えば「人からよく思われたい」という欲求の表れです。仏教では「名欲」といわれています。少々雑ですが、名誉欲と言い換えてもいいかも知れません。
さて、仏教では欲が人の苦しみにつながると考えます。苦しみ、すなわち痛みですね。人は痛みを感じれば、痛い、どうして痛いのだろう、痛みを取り除くにはどうしたらいいだろうと考えますが、本当は痛みが生じるよりも手前の段階で、痒みや、ちょっとした違和感といったものが必ずあるはずです。今回の質問であれば、人の目が気になる=違和感、悪く思われたくない=痒み、よく思われたい=痛みといった具合に、物事はすべて段階を踏んでふくらんでいきます。
一方、広い社会に生きる私達は、人に迷惑をかけないように、社会の中でうまく生きていかれるように、自分の行いががそれに適うものであるかどうか判断するためにも、ある程度は人の目を気にすることも必要です。しかし何事にも節度があります。度を越して他人の目を気にして、それが生きづらさになるのでは本末転倒です。
では、名欲に振り回されないためにはどうすればいいか。
それはズバリ、諦めるしかありません。
とは言っても、皆さんが思っているような諦めとは違います。仏教で言う諦めとは、「あきらかにみる」ということ。自分がどのように思っているのか、感じているのかをよく観察し、それを咀嚼し、受け入れる。自分とは何者か、どのような考えを持ち、行動しているのか。それを正しく見つめることができれば、もはや人の目など気にならないものです。
もちろんこれは簡単なことではありません。私自身も日々精進の途上です。他人ではなく、まず自分自身と向き合う。すべての基本はここにあるのです。
次回は2月25日更新です。
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