『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#28 友人がいなくて寂しい。
今週の相談:アラフォーです。この年齢になって、気がついたら仲の良い友人がいないことに気づきました。これから新しい友人を作る術もわからないし、自分の人生が寂しく感じます。
『蒲団』などで知られる小説家・田山花袋が生前こんなことを言っています。
「人間は元来一人で生まれて一人で死んで行くのである大勢の中に混じってゐたからって孤独になるのは、わかり切ったことだ」
人間は誰しも一人で生まれます。今まで母親の胎内という暖かく優しい、何もかも満たされた世界から孤独の世界に生まれ落ちる。それを悲観しているから赤ちゃんは生まれ落ちた瞬間にまず泣くのだ。と昔の人は言ったものです。
お経の中にもこれと同じことが書かれています。
独生独死独去独来(独り生まれ独り死ぬ、独り去り独り来たる)
田山花袋の言葉と同じですね。このお経の前後を見てみましょう。
人在世間 愛欲之中 独生独死 独去独来 当行至趣 苦楽之地 身自当之 無有代者
僕なりの意訳をすると
人間はこの世という愛欲の渦の中に、たった一人で生まれる
死んだ先へもたった一人で行くのだ
そこが苦しいところか楽しいところなのはわからない
でも、行かなくちゃいけないところに行くんでしょう。
それも一人で行くしかない
代わってくれる者はいないのだ
さて、冒頭の質問に戻ります。どうしようもないほど残念な事実ですが、人間が孤独であることは免れないことです。
質問者さんは、親しい友人がいないから寂しいのだとおっしゃいます。そのお気持はわかります。
では、仲の良いお友達がいればそれで孤独が解消されるのでしょうか。
あるいは、なんとはなしにおしゃべりなどできる相手がいれば、いっときの孤独は誤魔化せるかもしれませんね。
けれど、所詮それは小手先のことに過ぎません。
人間は生まれながらにして絶望的に孤独な存在なのです。絶対的な孤独のうちにいる私達ですから、ときにはどうしようもなく寂しさ悲しさが募ることもあるでしょう。
もう一度お尋ねします。
そのような決して逃れられない孤独という苦しみを小さくしてくれるのは、果たして「仲のよい友人」なのでしょうか。
むしろ、刹那的な人間関係に振り回されずにいられる分、学問や芸術に打ち込むなど、自分自身に向き合い、高めることに時間を費やすこともできるはずです。そんな高尚なものでなくてもかまいません。ちょっとした趣味や日課を持つだけでも暮らしは大きく変わります。
何かに夢中になっているとき、人は雑念から開放されます。楽しいと思えること、集中できることに出会えば、自ずと生活は充実し、漠然とした「寂しい」という気持ちは薄れていくでしょう。
古今東西の学者や芸術家、哲学者といった人たちは、そのようにして孤独を糧にしてきた人々なのだと思います。
孤独は誰もが抱えている根源的な苦しみです。であれば、そこから逃れようと足掻くのではなく、それを受け入れ、ともに生きるより他にありません。
そんな毎日の中で、孤独をエネルギーに替えるようなものを見つけていただけたら幸いです。
次回は6月10日更新です。
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