『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#31 この先の人生が不安です。
今週の相談:年金問題、親の介護、自分の健康、世界情勢、収入面、子供の教育…全てにおいて明るい話題がなくこれからの人生大変だなあ、という不安の中で生きています。特に収入面での心配が大きく「明日病気になって働けなくなったらどうしよう」と毎日漠然とした将来の不安で憂鬱です。仏教的にはどうやって不安から心を鎮めるのでしょうか。
ニュースを見ると本当に将来が不安になることだらけです。
質問者さんがおっしゃるように、将来についての不安もあれば、新潟、山形両県などを襲った先日の地震や、香港のデモのニュースを見て、これらは決して対岸の火事ではないのだという危機感も覚えます。
でも、同時に思うのです。明日はどうなるかわからないと。そもそも「明日」が来るかどうかだってわからないのです。
例えば、真っ先に書かれている年金。老後は2000万とも3000万とも言われる貯金が必要だと言われ物議を醸していますが、それだって、どこでどのように生きるかでだいぶ差がありますし、そもそも自分が何歳まで生きるかもわかりません。
では私たちは一体何歳まで生きると思うのが妥当なのでしょうか。日本人の平均寿命は83.98 歳 (2016年)と言われていますが、これは平均ですから、上もあれば下もあります。実際、私自身も同世代の友人を何度も見送っていますし、もっと若い方や、逆に100歳を超えた方を見送ることも少なくありません。
残されたご家族は皆さん一様にこうおっしゃいます。「こんなに急に……」と。
平均寿命を迎えたら自動的に終りが来るというものではありません。どんな人にも、どんな人生にも、終りは急に来るのです。
さて、仏教の言葉に「一日一生(いちにちいっしょう)」というものがあります。
一日を一生に見立て、朝に生まれ(目覚め)、夜に一生を終える(就寝)という考え方です。
私たちは誰も、当たり前のように明日がある、明後日があると思って生きています。しかし、今日が本当に人生最後の日だと思えば、仕事を残すことなんてできません。するべきことに優先順位をつけ、しっかりと終わらせることになりましょう。
一日を一生だと思って生きる。そうすれば自然と毎日が充実してくるものです。
将来の不安は決して無くなることはありません。それは現代に限ったものではなく、古今東西の人々が等しく向き合ってきた苦悩です。
けれど、ではその普遍的な悩みを抱えながらどのように毎日を生きるかは、自分の気持ち一つです。
消すことのできない不安ばかりを見つめて暗い気持ちで生きるか、見えない先のことではなく、今このときを精一杯生きるか。「一日一生」の言葉を心に留めて、じっくりと考えてみて下さい。
次回は7月1日更新です。
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