『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#35 父の意外な一面に困惑しています。
今週の相談:父は私が子供の頃からほとんど怒るようなこともなく、娘思いのやさしく穏やかな父でした。しかし、父の職場で聞いた話では、机を何度も叩いてキレたり、ゴミ箱を蹴飛ばしたりと一度怒るとかなり怖い人だそうです。職場の知り合いも、どこで怒るかわからない父を恐れている様子です。内弁慶と言うように、外で優しくて中で怖いというのはよく聞く話なのですが、父のケースは逆で、なんだか家で話をする時も(父は変わらず優しいのですが)怖いと感じてしまうようになってしまいました。思い切って聞いてみようかとも思いましたが、もし父が本当は怖い人間で、家では家族のために怒らないように努力しているとしたら、聞いたら最後、もとに戻れなさそうで怖いです。どうすれば良いでしょうか。
少し昔話をしましょう。古いインドのおはなしです。
昔むかし、インドの王様のところに何人かの盲目の人が集められました。そこで王様が「君たちは象を知っているか?」と尋ねたのです。
盲目の人たちは皆一様に「いや、知らない」と言いました。王様は象を一頭連れてきて、盲目の人たちに触らせました。「これが象というものだ。どうだ?」。
象の足を触った者は「象とは立派な柱のようなものです」と答えます。尻尾を持った者は「象とは箒のようですね」と答えます。尾の根本を持った者は「象とは杖のようですね」と、腹を触った者は「象とは太鼓のようです」と、脇腹を触った者は「象とは太鼓壁のようです」と、そして鼻を触った者は「象とは太い綱のようなものでした」と答えたのです。
盲目の人々はみな自分の感想こそが正しいと主張しました。それもそのはず、人々は自分の触った部位の形状や特徴を的確に表現したのです。
しかしながら、それらの感想はいずれも象の一部についての感想であって、象そのものを十分に表現する言葉ではなかったのです。
象という生き物の全体を知らないために、一部分のみを触ってそれが全てだと思い込んでしまった人々。
このようなことは、わたし達の毎日にも起きていることです。
お父さんのこともきっと同じだと思うのです。大きなお父さんという存在にも、家庭で見せる家長としての顔、職場で見せる上司としての顔、夫婦間で見せる夫としての顔、どれも違っていて然るべきではないでしょうか。もっと言えば、お父さんだって昔は孫であり子どもであり、誰かの幼馴染だったり後輩だったり、買い物に行けばお客さん、病気になれば患者さんです。
自分にとっては「お父さん」が全てでしたでしょうから、違う一面を知ってショックだったと思います。でも、お父さんはあなたが知っている一側面以外にも、様々な表情を持っているとわかっただけでも心構えはできますね。
もちろん、全てを知ってしまえば「こんなはずじゃなかった。知りたくもなかった」となるかもしれません。反対に、「いろいろな側面を知れてよかった」となるかもしれません。
お父さんにも、家族には隠しておきたい顔があるかもしれません。ご自身に置き換えても身に覚えはあるのではないですか?
さて、思いがけないことを知ってしまいショックを受けたことは、もうなかったことにはできません。その上でどう振る舞っていくか。
まずは、お父さんという人間には様々な顔があるのだということ、自分の知る「お父さん」がお父さんの全てではないのだということをしっかり受け止めるよう意識してみてください。
それが自分の態度を決めるスタートになるはずです。
次回は8月5日更新です。
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