『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#44 若い男性との出会いにときめく。
今週の相談:1ヶ月前、飲み会帰りに地元の自転車駐輪場で若い男性に声をかけられました。私の自転車を運んでくれるなど優しくしてくれ、連絡先を交換し、途中まで一緒に帰りました。すごく楽しかったので今後の展開に期待してしまいそうです。連絡が来たらまた会ってみてもよいでしょうか。
「鬼も十八番茶も出花(おにもじゅうはちばんちゃもでばな)」という言葉があります。
鬼でも年ごろになれば少しは美しく見え、番茶でも淹れたばかりは香りがある。
器量が悪くても年ごろになれば多少は娘らしい魅力が出てくるということのたとえです。
こういった慣用句もあるくらい、「若い」というのはそれだけで魅力的だということです。
若い方にときめき、今後の展開に期待するのは自然なことでしょう。
お互いにパートナーがいないのであれば、なんの問題もありません。
ぜひ会って、縁を深めてください。
ただ、縁は繋がるときにしか繋がらないものです。
自分がいくら、いいな、この人と親しくなりたいなと思っても、本当に仲が深まるかどうかは別の話。
相手がどう思うかわからない。
仕事が忙しくてすれ違うかもしれない。
急な転勤などで、物理的な距離が遠くなるかもしれない。
地震や台風などが起これば、それどころではなくなるかもしれない。
こういった障害を避け、縁が結ばれるというのは本当に稀なことなのです。
稀なことといえば、こんなお話があります。
「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」という仏教のお話です。
お釈迦様が阿難(あなん)という弟子に、人間に生まれたことをどのように思っているかと尋ねました。
阿難が大変喜んでおりますと答えると、お釈迦様は次のようなお話をしました。
「果てしない海の底に盲目の亀がいて、百年に一度だけ海面に顔を出す。
広い海には、一本の丸太の棒が浮いていて、その真ん中には小さな穴がある。
阿難よ。百年に一度だけ浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか。」
阿難は驚き、そんなことはとても考えらませんと答えます。
「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです。」
それに対しお釈迦様はこのように言われていました。
「私たちが人間に生まれることは、この亀が丸太ん棒の穴に首を入れるよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ。」
「有り難い」とは「ありがとう」、つまり感謝の言葉として使われていますが、もともとはその字のとおり「有ることが難しい」ほど、滅多にないことを指します。
本来、人と人との縁が結ばれるということも、この「盲亀浮木」と同じくらいにありがたいことです。
無理矢理に不自然だ出会い方をつくったり、そこからの展開に過度な期待をせず、自然にまかせる、縁にまかせる、といった心持ちでいるとよいでしょう。
もし縁があって親しくなることができたのなら、その出会いに感謝をし、大切に仲を深めていって下さい。
次回は10月14日更新です。
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