『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#45 既婚ですが子どもが欲しくありません。
今週の相談:既婚ですが子どもが欲しくありません。子どものいない既婚者の女性です。結婚して数年経つので、子どもを産む/産まないについて考えています。機能としては自分の体に備わっているのですが、実際、子育てや子どもに興味がありません。もし産んでも、子どもを愛せるか不安です。
まず、「産む、産まない」、つまり「命を生み出すか否か」という生殺与奪の権利を自分が握っていると勘違いしてはいけません。
それは大変おこがましいこととです。
産む、産まないという選択権を自分が持っていて、自分が決める。
望まぬ妊娠や児童虐待の現実を鑑みれば、ある意味ではその意識、覚悟は重要なものです。
一方、命の現実を見れば、その意識や覚悟さえあれば完璧な選択ができる、自分の選択に責任を取ることができる、というものでもありません。
生みたいと思ったときに、タイミングよく授かれるか。
授かった命がお腹の中でしっかり育つか。
ようやく生まれた子どもが無事に育つか。
子どもだけの問題ではありません。
母体である自分自身が、何のトラブルも負わないまま妊娠、出産を乗り切れるのか。
子どもを生む、生まないで悩み、ひとたび生む決断をすれば一件落着、とはいかないのです。
生まれた後だって、子どもが自立するまでには長い時間がかかります。
もちろん、生まない選択もいいでしょう。そのために私たち人間は避妊の方法を知っています。
しかし、それも完璧なものではありません。
絶対に生みたくないと思うのなら、セックスをしないことでしか妊娠を防ぐことはできません。
結婚をしているのであれば、セックスについても、妊娠、出産についても、自分ひとりで決めるのは無理がありますから、パートナーとしっかり話し合うことが必要でしょう。
生むにしても生まないにしても、最後の最後は、「自然に任せる」ことしかできません。
成熟した社会文化の中で暮らす私たちは、妊娠、出産に関しても、人間の意志や理性が深く関わっていけると考えています。
けれど、意志や理性がコントロールできるのは極めて表面的なことで、その根源にある「生命の誕生」や「本能的な母性、父性」といったものは、到底人間の思い一つなどでどうにかできるものではないのです。
生んでも生まなくても苦労はあるでしょう。
自分の選択を後悔する瞬間もあるでしょう。
生んだ子を愛せなかったり、生みたくなったときには時間切れだったりしたら、過去の自分を呪いたくなるかもしれません。
そのときにこそ、私たちが社会に生きていることが助けになります。身近な人や専門家に頼ることができるからです。
これまで寄せられてきた他のお悩みに対しても申し上げてきたことですが、
結局言えることは、「先のことはわからない」。これだけなのです。
次回は10月21日更新です。
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