『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#75 彼女との同棲がしんどい
今週の相談:緊急事態宣言下の今、彼女と同棲しているのですが、同じ相手とずっと同じ空間にいるのがしんどいです。好きだったはずの気持ちがだんだん消えてきています。
これはもう、少なくともそのお相手とは同棲や結婚が向いていないのかもしれません。
まずそこを冷静に考えてみてはいかがでしょうか。
もちろん人と人との関係のことですから、最終的には自分ひとりでどうこうできるものではありません。誰かとの関係においてどちらかだけが一方的に不満を持っているということはあまりありませんから、お互いの気持ちを打ち明け合ってみれば、案外歩み寄れるポイントが見つかるかも知れません。
ただ、話し合いってお互い歩み寄るなどしてずっと付き合っていきたい相手だと思っているならば、ここで相談するよりも先に行動を起こしてみようと考えるのが妥当なようにも思います。
であれば、話し合いう気持ちも起きないほど離れてしまいたい相手になってしまったのかもしれません、残念ながら。
私たちは人間は感情を持つ生き物です。
どうしても「だめだ」と思うのであれば、冷たいようですが潔く関係を終え、どちらかが部屋から出ていくしかないでしょう。
これだけですといくらなんでも少々投げっぱなしの感がありますので、お坊さんとして結婚というものを考えたときまず頭にあったのは、結婚とは一人称がI からWeに変わることだということです。
今までは「自分が」何をしたいか、何をするかで考えていたのが、私たち夫婦がというように、最小単位が二人になる。子どもが生まれればそれが3人、4人と増えていく。広く社会に向かったときの一人称が一個人から家族へと変化するのです。
実はこれ、仏教、とくに日本における大乗仏教にも同じことが言えるのです。
自分が幸せになる。
それには自分の隣りにいる人がしあわせでなければ本当の幸せは訪れない。
だから、隣の人の幸せ、周りの人の幸せのために利他行を行う。
そして隣の人の幸せのためには、そのさら隣の人が幸せでであって…と、「わたしの幸せ」の意味するものが全ての人の幸せになり、世界中すべての人々の幸せを祈るようになる。それが大乗仏教の根本にある考え方です。
今一緒にいる相手は、自分にとってWeになりうる人なのか。
幸せにしたいと思う相手なのか。
同棲、結婚を見据えたお付き合いは、人生において非常に重要な局面です。
不要不急ではないです。
必要火急な選択が目の前に来ているのかもしれません。
次回は5月25日更新です。
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