『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#79 損をしたくない気持ちが強すぎる
今週の相談:買い物のお釣りが間違って少なくなっていた時、電車にあと少しで乗れなかった時など、せいぜい50円や5分程度のささいなことなのに、すごくイライラしてしまいます。お金に執着があるというよりは、損をしたことをずっと考えてしまいます。
損をしたくない。それはそうでしょう。
誰しも自分が損をするのは嫌なものです。本来得られたはずだったんのに取りこぼしてしまった利益を思うと、ああもったいない、と悔しく、怒りすら感じることもあるかもしれません。
でも、本来得られたはずだった利益と思っているもの、それは本当にそうなのでしょうか。
お釣りが間違っていて少なかった。これはわかりやすいですね。本来得られたものです。それが相手のミスで得られなかった。
しかし、もし自分もそのミスに気づかなかったら? 「本来得られた」という事実すら気づかずに通り過ぎてしまったはずです。電車の例なら、そもそももう少し早歩きをすれば間に合ったはずです。別に、のんびりしていたことを責めているわけではありません。ただ、いずれの場合も、損をしたと思って感じているその苛立ちが、「もし〜〜だったら」という意識から生じているものだということを示したいのです。
経済用語でサンク(埋没)コストという言葉があります。
これは、既に発生して回収が不可能なコストを指します。例えば、建築した施設の建設費用、使ってしまった開発費などのことです。使った予算はどうしても戻ってくることはありませんから、それにとらわれず、今何が必要で何をするべきかを正しく判断しなければなりません。
今回の件も同じです。お釣りをもらいそこねたのは過去のことで、今さらそれが戻ってくることは期待できないでしょう。乗り遅れた電車も同じです。過去のことに囚われ、ご自身でも「些細なこと」とわかっている、その程度のことにイライラして過ごすことは、実にもったいないと感じます。
仏教ではよく「今、ここ、わたし」を大切にしましょうと言います。あのときこうだったのに、といつまでの過去のことを言っても、今さらどうにもなりません。同様に、もしあれがああなったら未来はこうだろうなどと、先のことに妄想を及ばせるのも、「今」を冷静に見つめることを妨げます。過去は過去です。頭の中に残った記憶、つまり幻想でしかありません。未来もまた、不確かな空想でしかありません。
既に過ぎ去ったことばかり考え、今、ここ、わたしに向き合わないことは、実に「損」ではないですか? 過去を考えるよりも、今を起点に物事を見るように心がけたいものです。
次回は6月22日更新です。
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