『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#80 ソーシャルゲームにはまってしまいます。
今週の相談:課金もそこそこしているのですが、何より時間の浪費が深刻です。私のやっているゲームでは、プレイするために体力ゲージを溜める必要があるのですが、その体力ゲージが溜まる時間割に合わせて自分の行動を決めています。人生の軸がゲームになっているような日々です。この状況をやめたいと思いつつやめられません。
いやー。それの何が悪いのかわかりません。
ゲームによっては、ドロップ率の上がる時間帯が設定されていたり、タイミングを合わせてチーム戦が行われたりなど、やり込んでいくうちに、どうしても生活をゲームに合わせるということは十分にあり得ることですよね。
でも、それって何にしても同じだと思います。
家族や友達の予定に合わせて週末のスケジュールを決める。
仕事の繁忙期を避けて休暇のスケジュールを決める。
諸法無我という言葉があります。
何度かここでも紹介をしてきました。
ざっくりと言えば、「私」という自分だけで存在が成立し完結するものはないという意味です
すべてが持ちつ持たれつ、良くも悪くも影響し合いながら存在し合っているのです。
人間はもともとソーシャルな存在です。
そこをうまく利用したソーシャルゲームにハマってしまうのは、もうどうしようもないものでしょう。
そして人間は欲があります。楽しいことをしたい。それもまたどうしようもないこと。
ソーシャルゲームにハマってしまうのは、つまりはどうしようもないことなのです。
もちろん、そこから離れたいという気持ちがあるのもまた事実でしょう。離れたいからと言ってすんなり離れられるのであれば苦労がありません。
でも、幸か不幸か、数年もすればサービスが終了するときが訪れます。そもそも、その前に飽きてしまうほうがほとんどです。
やめなければ、離れなければと思い悩み罪悪感を抱えながら、どうせやめられないのであれば、そんな強制終了を待つというのも一つの手ではないですか?
趣味にはどうしても時間とお金がかかるもの。これが自分の趣味なのだと認めて楽しんだほうが健全だと思いますよ。
諸行無常、どんなものもこのまま続くことはない。
飽きることもある。
そもそもサービスが終了するときもくる。
心配しなくても、自分にとっての辞めどきは必ず来ます。
ただし、本気の課金をし始めて生活に支障をきたすというのなら、また別の話ですよ!
次回は6月29日更新です。
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