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コラム 2024.02.25

『もっと!天幕のジャードゥーガル』谷川 春菜 マンガがもっと楽しくなる必携コラム!毎月25日更新!

もっと!天幕のジャードゥーガル モンゴル帝国と織物

モンゴル国立大学研究員・谷川春菜さんによる、大好評のモンゴル帝国コラム連載!

このコラムでは、マンガ『天幕のジャードゥーガル』の舞台となった地の歴史や文化を連載形式で解説しています。今回のコラムでは織物――モンゴル帝国の人々が身に着けていた服をテーマに、その布地に焦点を当てて紹介します。最新話第27幕の中盤に、ボラクチンが商人から織物を購入するシーンがありました。当時のモンゴル帝国では実際、どのような色や手触りの布地で作られた服が着られていたのでしょうか?

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

豪華でカラフルなファッション

最新話第27幕とちょうど同時期、1233〜34年にモンゴル帝国を訪れた彭大雅の記録『黒韃事略』によると、当時の服装は下記のようなものだったそうです。

――其服、右衽而方領,舊以氈毳革、新以紵絲金線。色用紅紫紺綠、紋以日月龍鳳、無貴賤等差。
訳:その(モンゴルの人々の)衣服は、右衽(右手側の身頃を下、左手側の身頃を上にして重ねる形)で襟は長方形である。以前は毛織物・革を用いていたが、最近は緞子(絹の色糸を繻子織という方法で織って紋様を描き出す織物)・金糸を用いている。色は紅・紫・紺・緑を用い、紋様は日・月・竜・鳳(おおとり)で、貴賎の差はない。

また、マンガ本編第8幕ごろ(1229年)の話になりますが、歴史書『世界征服者の歴史』(ジュヴァイニー著、13世紀半ば成立)にも、服装に関する記録があります。それによると、第2代皇帝オゴタイ即位時の総会議――クリルタイでは、出席者たちはみな同じ色の服を着ていて、その色はこのクリルタイが続いた41日間、毎日違う色だったということです(注1)。

第2代皇帝オゴタイ即位時のクリルタイ(第8幕)

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

服の布地や色の詳細について、マンガ本編より少し後の時代の話になりますが、第3代皇帝即位時のクリルタイに居合わせたキリスト教宣教師カルピニが記録を残しています。彼の旅行記によると、クリルタイの出席者たちは1日目に白色、2日目に赤色、3日目に青色のビロード、4日目にバルダキンと呼ばれる豪華な絹織物の服を、みなお揃いで着ていたそうです(注2)。

このビロードやバルダキンという織物はどういったものだったのでしょうか?

(注1) 『世界征服者の歴史』John Andrew Boyle訳注 The History of the World-Conqueror 1. Manchester 1958年、186ページ
https://archive.org/details/historyoftheworl011691mbp/mode/2up
(注2) 護雅夫 訳注『中央アジア・蒙古旅行記』講談社、2016年、第1部9章
高田英樹 編訳『原典中世ヨーロッパ東方記』名古屋大学出版会、2019年、82ページ

ビロード

ビロード(ベルベット/天鵞絨)は、光沢感があって毛足が長く手ざわりのよい布で、絹あるいは綿で作られます。現在の日本だと、グランドピアノの赤いカバーなどによく使われています。

いわゆる『東方見聞録』(『世界の記述』『驚異の書』とも、13世紀後半のモンゴル帝国に長期滞在したイタリア商人マルコ・ポーロの旅行記といわれる)には、「クラモイシイ」と呼ばれるビロードが登場します。クラモイシイという名は、赤色染料ケルメス(原料はカメムシ目カイガラムシ、“クリムゾン”の語源)に由来し、このケルメスで染めた深紅のビロードを示すということです。『東方見聞録』のなかでクラモイシイは、モンゴル帝国西方に位置するバグダード(現在のイラク首都)の特産品として、「ナシチ」「ナック」という織物と並んで紹介されているのですが、このうちナックもビロードで、とくに金糸を織り込んだものをそのように呼んでいたと考えられています。(注3)

(注3) 愛宕松男 訳注『東方見聞録1』平凡社、1970年、47~48、51ページ
坂本和子「織物に見るシルクロードの文化交流―トゥルファン出土染織資料―錦綾を中心に」大阪大学博士論文、2008年、83~89、95ページ
https://hdl.handle.net/11094/2683

バルダキン―ナシチ

バルダキンは、金糸や色とりどりの糸を使ってさまざまな紋様を描き出した高価な織物で、現在の日本語だと錦にあたります。バグダードが有名な産地だったため、それにちなんだ呼び名が、旅行記著者カルピニの出身地イタリアを含む、ヨーロッパ各地で使われてきました(中世ラテン語でbaldakinus、イタリア語でbaldacchino、英語でbaldachin/baudekinなど)(注4)。こうした織物はモンゴル帝国において、ナシチ(ナシジ、ナチドとも、語源はアラビア語やペルシア語のnasīj(注5))と呼ばれ、ペルシアなどから盛んに輸入されたほか、1220年代には帝国領内でも生産が行われていたようです。

ペルシアの織物を輸入(第27幕)

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

歴史書『ヘラート史記』(サイフィー・ヘラヴィー著、1318~22年執筆)によると、1221年にトルイ率いるモンゴル軍がヘラート(現在のアフガニスタン東部)を攻めた際、ヘラート側は命乞いのためトルイに職人200名を献上しました。トルイはこの職人たちを帝国領内のビシュバリク(現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区首府ウルムチ市の東方)に移住させ、当地に工場を建てて織物を作らせました。後に彼らが作ったナシチが、チンギス・カンの妻の一人を通してオゴタイの手に渡ったということです。(注6)

このように西方遠征で捕虜になった職人たちがナシチの生産を行った地として、ビシュバリクの他に、蕁麻林(現在の中華人民共和国河北省万全県洗馬林)や、弘州(蕁麻林から南西に100余里)が挙げられます。蕁麻林はサマルカンド(現在のウズベキスタン)が訛ったもので、住民のほとんどがサマルカンド出身だったということです。弘州の職人たちはチンカイ(オゴタイの側近、マンガ本編第6、13、15幕などに登場)の所属で、彼の息子が軍政官(ダルガチ)として弘州のナシチ生産を管理していたそうです。(注7)

ちなみに、モンゴル国首都ウランバートルのモンゴル国立博物館には、ナチシを使って作られた服の実物が展示されています(下写真)。経年劣化で現在は茶色くなっていますが、作られた当時は白地に金糸の紋様が輝く絢爛豪華な服だったと考えられます(注8)。

ナシチで作られた服の実物(注9)

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

(注4) 『小学館ランダムハウス英和大辞典第2版』小学館、1994年「baldachin」
(注5) 森安孝夫「ウイグル文書箚記 その四」『内陸アジア言語の研究』9、1994年、63~93ページ(とくに89ページ)
(注6) 坂本和子「織物に見るシルクロードの文化交流―トゥルファン出土染織資料―錦綾を中心に」大阪大学博士論文、2008年、89~95ページ
https://hdl.handle.net/11094/2683 本田實信『モンゴル時代史研究』第2章8節「ヘラートのクルト政権」東京大学出版会、1991年、141ページ(初出:「ヘラートのクルト政権の成立」『東洋史研究』21(2)1962年、38~75ページ、とくに50ページ)
T・T・Allsen. Commodity and Exchange in the Mongol Empire. Cambridge University
Press. 1997年、39~40ページ
https://archive.org/details/commodityexchang0000alls
(注7) 松田孝一「モンゴル帝国における工匠の確保と管理の諸相」松田孝一編『碑刻等史料の総合的分析によるモンゴル帝国・元朝の政治・経済システムの基礎的研究』―平成12~13年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究成果報告書大阪国際大学、2002年、171~199ページ(とくに182~184ページ)
(注8) 白石典之『モンゴル考古学概説』同成社、2022年、208~209ページ
詳しくはコラム「ウランバートル 博物館さんぽ」をどうぞ!
https://souffle.life/column/motto-tenmaku-no-ja-dougal/20230525-2/
(注9) 左写真:コラム筆者撮影
右写真:Ж.Саруулбаян Монголын үндэсний музей. Улаанбаатар: Монголын үндэсний музей. 2009(J・サロールボヤンほか編『モンゴル国立博物館』ウランバートル:モンゴル国立博物館、2009年)73ページ、モンゴル国立博物館の図録

おまけ―明礬石

ここまで織物について紹介してきましたが、最新話第27幕の中盤に、そうした織物をカラフルに仕上げる際のお役立ちクッズとして、明礬石(みょうばんせき)というアイテムが登場します。

明礬石の化学式はKAl3(SO4)2(OH)6で、日本にも多くの産地があります。カリウムとアルミニウムを主成分とする、もろい鉱物で、加熱すると小さい音を出してはねるそうです。(注10)

明礬石(第27幕)

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

マンガ本編より少し前、12世紀末のセルジューク朝で作られた、ペルシア語の百科全書『被造物の驚異と万物の珍奇』(ムハンマド・ブン・マフムード・トゥースィー著)に、「明礬は致死性の毒であり、肺を焼くが、さまざまな益もある。これでもって染色する。絹は、いかなる色も決して受け入れないという特性をもつが、最初に明礬水に浸す(と染まりやすくなる)」と書かれていて、染色に使われていたことが分かります。(注11)

マンガ本編とほぼ同時代、13世紀初めにはエジプトでこの明礬石が盛んに採掘され、ビザンツ帝国など周辺地域で、染色に用いられていたことが分かっています。エジプト北部砂漠地帯の鉱床で産出した明礬石は、まずナイル河畔のいくつかの町に集められます。そして毎年夏のナイル河氾濫時に、船で河口の都市アレクサンドリアに送られ、そこの市場から商人を通して周辺地域に運ばれていったそうです。(注12)

(注10) 『日本大百科全書』小学館、1994年、「明礬石」
『改訂新版 世界大百科事典』平凡社、2014年、「ミョウバン(明礬)石」
(注11) 守川知子 監訳、ペルシア語百科全書研究会 訳注「原典翻訳 ムハンマド・ブン・マフムード・トゥースィー著『被造物の驚異と万物の珍奇』(4)」『イスラーム世界研究』4(1~2)2011年、483~550ページ(とくに538ページ)
https://doi.org/10.14989/154006
(注12) R・B・Serjeant. “Material for a History of Islamic Textiles up to the Mongol Conquest”. Ars Islamica 13. 1948年、115~116ページ

次回は3月25日更新です。▶︎▶︎▶︎マンガ本編はこちらから

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