この記事が載っているのはド年末、もしくは年始だと思うが、どちらにしてもやることは一つ。
「ツイッター」である。
2020年もほがらかにSNSに依存していきたいので、今年もよろしくお願いします、という感じだ。
2019年は「ツイッターの質が悪くなった」としきりに言われていたような気がする。
質が落ちたと言っても、シルクが油とり紙になったわけではない。
便所紙がケツを拭いた後の便所紙になったようなもので、元々低品質だったもののクオリティがさらに下がっただけのことなのだが、確かにツイッターがギスギスしていると感じることは増えた気がする。
社会全体が殺伐としているため、それに比例しただけ、とも言えるが、もう一つ「思いついたことをそのまま書き過ぎな人が増えたからでは」とも言われている。
確かに、思いついたことをそのまま書けるのがSNSの良いところである。
だが、目の前の他人のケツがどれだけ「いいね!」だったとしても「良いケツしてるな、挟まりてえ」とは声に出しては言わないだろう。
そういう、リアルでは思うだけで口には出さないようなことを、SNSではドストレートに言ってしまいがちなのである。
油を直に捨てたら水が汚れるように、脳内の言葉も何のフィルターもなしに何でも流してしまったら、ツイッターの水も汚れてしまう。
嫌いと思った瞬間「あれ嫌い」とつぶやき、死ねと思った瞬間「あいつ死ね」と書き込んだら、それはギスギスするに決まっている。
好き、尊い、prprprp、のように肯定的なことなら脊髄反射でつぶやいて良い。
だがネガティブな感情を流す時は「素材そのままの良さを味わってください」ではなく「死ね」と思ってもそのままは書かず「死ねどす」と言い換えるなど、多少マイルド「加工」することを考えたほうが良いだろう。
SNSは自由に発言して良い場ではあるが「脳内全てをダダ漏れにさせて良い場所」というわけではない。
漏らすべきでないことは漏らさない「SNS括約筋」を鍛えておくことが大事である。
また、SNSは、屁のつもりが実弾だった、というように、軽い冗談のつもりで炎上することも珍しくない。
投稿という名の発射をする前に「それ本当に屁か?」と今一度確認した方が良いだろう。
しかしそれも「なんか差別用語とか入ってるけど、多分屁ですわ」と、SNS括約筋の判断基準がガバガバでは無意味である。
ガンジス川に死体やウンコが流れてくるのはガンジス川が死体やウンコを生み出しているからではなく、人間が流しているからだ。
「ツイッターの質」というのも勝手に落ちたのわけではなく、我々の発言が落としたのである。
2020年、少しでもツイッターがほがらかになるよう、SNS括約筋の締まりと感度を高めて行こうではないか。
次回は1月7日更新です。
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