『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#77 実家の父親が攻撃的な人間に
今週の相談:定年後の父親が、インターネットや動画サイトなどで得た知識による排他的思想の持ち主になってきている感じがします。去年に帰省した時、会話からにじむ価値観に不快感を覚え、以来帰省していません。いろんな思想や主張は否定しませんが、それが肉親となるとつらいものがありました。今後は父にどう接したらよいでしょうか?
悲しいですね。人はだれでもどんな環境の中で生きているのかということに大きな影響を受けます。
環境は私たちの価値観や行動規範、ゆくゆくは人生そのものをかたちづくるもの。
自分自身を振り返ってみても、家族、地域、学校、職場と、そのときそのときに置かれた環境やそこで出会った人々から多大な影響を受け、価値観が形成され、「自分」をかたちづくってきたのだということがわかると思います。
お父さんの場合、定年によってその環境がガラッと変わってしまったわけですね。
朱に交われば赤くなると言いますが、環境が変わって、有り体に言えば付き合う人が変わってしまい、価値観が変わり、それが表面化してきたということです。さらに、インターネットなどを介せば、これまでの暮らしでは接点のなかった人々やものの考え方にも触れます。ネット上にあふれる排他的、攻撃的な発言の持つ言葉の強さを思えば、環境が大きく変わって少なかず戸惑いを抱えていたであろうお父さんが、強い刺激にひっぱられてしまったというのは想像に難くないことです。
さて、仏教的な見方で言えば、どのようなものであれ変化そのものは良いものでも悪いものでもありません。何事も常に変化し続けていくのだというのが仏教の根幹をなす考え方の一つです。
一方で、仏教でとりわけ大切にしているものに利他というものがあります。
これは、他者を利益(りやく)すること、他人を救っていくことで、日本などの大乗仏教においてはもっとも大切な行為です。
少し前のコラムにも書きましたが、自分が幸せであるためには、自分の隣にいる人も幸せでなくてはならない、隣りにいる人が幸せであるためには、そのまた隣の人も幸せでなくてはならない。
「わたし」「わたしの幸せ」の意味するものは果てしなく広く、世界中すべての人々の幸せのために行動する、幸せを祈る。それが大乗仏教の根本にある考え方です。
お父さんの変化にあなたが心痛めている=幸せでないのであれば、子ども立場から「その言葉はわたしを幸せにはしないよ」と伝えてみてはいかがでしょうか。
次回は6月8日更新です。
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