度重なる事件事故を受け、ついに「煽り運転」が厳罰化されることとなった。
良識と常識、そして教習所時代、制限時速50キロのところを20キロで走行して教官「制限を守れば良いというわけではない」と言われたことのある慎重派からすれば、なぜ煽り運転などという己の身まで危険にさらす行為をするのか理解すらできないと思う。
煽り運転をする人間というのは、煽る行為自体が楽しくて仕方がないという、前世が北斗の拳の雑魚キャラの肩についていたトゲトゲだったとしか思えないタイプもいるが、走行中、前方の車に対するイライラを抑えきれずにやってしまった、という人間も結構いるのである。
「カッとなってやった」という動機は「音楽性の違い」のような、他の理由を隠すために使われる言いワケではなく、マジな場合が多いのだ。
このように感情の中でも「怒り」というのはコントロールが難しく、時に犯罪者になりかねない行いをも躊躇なく行わせてしまうのである。
「怒ることは誰にでもできる。ただ怒るのは簡単なことである…しかし適切な相手に、適切な程度に、適切な場合に、適切な目的で、適切な形で怒ることは容易ではない。~カレー沢薫~」
もちろん私の言葉ではない、ただアリストテレスの名言のあとに自分の名前を書いてみたくなっただけだ。
つまり、怒ることも時には必要であり、怒ること自体は簡単だが、適切に怒るというのは至難の業であり、大体が余計悪い方向へいったり、怒ったことで自分の評判を落としたりと、マイナスに行くことの方が多い、ということである。
つまり、怒りというのは取扱注意の劇薬なので、よほどのことがなければ戸棚にしまっといた方が良い、ということである。
しかし「怒鳴る以外で、目の前で筒からウエットティッシュを無限に出そうとする4歳児を止める方法があるなら教えてくれ」という時もあるだろう。
そう言った意味で子育てはやはり大変であり、その疲労は怒らずにわかってくれる可能性がある大人を相手にしているのとではわけが違う。
逆に言えば我々も、他人に怒鳴らずにわかる大人でいたいものである。
逆に言うと、そういった怒る必要のある場面以外でいかに怒らないようにするか、が重要ということである。
そして怒らないようにするための秘訣の中にはもちろん、「ツイッターを見ない」が含まれている。
怒りというのは伝染するし、ツイッターというのは「今日あったムカついたこと」を掃き溜める場としても機能しているので、ずっと見ていたら必ず腹の一つや二つ立つ話を目にしてしまうのである。
しかし、そうは言ってもツイッターは見たいと思う。
よって、腹の立つニュースに出くわした時は、いかに早く「自分が怒っても仕方がないことだ」と割り切るかが重要なのである。
むしろ、SNSでの誹謗中傷や○○警察の出現は「自分が怒っても仕方がないこと」と思えない人が多すぎるせいで起こっていると言える。
仕方がないと思えない、なんとかしなければ気が済まないと思うから、自分に直接無関係にも係らず、赤の他人に対し限度を超えた攻撃を仕掛けるなどということをしてしまうのである。
怒る必要も時にはある、しかし大体のことは怒っても仕方がないことであり、ついでに「自分に怒る権利があること」というのもそんなになかったりするのである。
次回は7月21日更新です。
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