もう永遠にツイッターのボイスチャット機能「space」と戦い続ける所存であったが、本日TLに「spaceが使えるようになった」というつぶやきが散見された。
まず私以外にspaceを気にしている奴がいる、ということに驚愕したし、ツイッター社の中でspaceは完成した時点で終わりという、はじまりが終わり形式だと思っていたので、まだ使わせる気があったということにも驚いた。
そのTLの報告に嫌な予感を感じ調べてみたところ、やはり私にもspaceが実装されていた。
ツイッター社の姿勢に倣い「実装された時点でspaceの話は終了」にしたかったのだが、ここまで引っ張ったからには使わないわけにはいかないだろう。
しかし、実装報告が複数挙がっていることからして、私の執念が通じたというより「みんな使えるようになった」と解釈した方がいいだろう。
そう思って調べてたところ未だに使えない人間が結構いるという事実に三度仰天した。
これ以上spaceに心をかき乱されたくないので、さっさと使ってみたのだが、これはspaceだからというわけではないが、やはりコミュニケーションというのは、テキストより会話の方が敷居が高い。
ツイッターで、全く見ず知らずの人にリプライを送れと言われたら「FF(ファイナルファンタジー)外から失礼します」という意味不明な枕詞か「いつも見てます」という気持ちの悪い告白を頭につけることにより、出来なくはない。
それにされた方とてツイッターで全く知らない人からリプが来たとしてもそこまでは驚かないはずだ。
もしそこに驚き、不快に感じるようだったら、逐一リプライ制限をかけるか「無断リプライ禁止」という新境地を発表して悪い意味で話題になるしかない。
そもそもそういう人はあまりツイッターに向いていないような気がする。
それに対しspaceで今まで一度も直接絡んだことがない人に話しかけろ、というのは相当ハードルが高いし、逆の立場としても全く知らない人に話しかけられたらちょっとびっくりしてしまう。
何故この差が生まれるか、というとテキストの場合は誰が打っても文字の形は同じである。
もちろん(^_^;)を使うことによりパーソナリティを表現することもできるが、それ人「オジサン」という概念と会話している感は否めない。
それに対し「声」というのは一人一人声色も違えば喋り方も違う。
つまりネット越しでも相手が「生身の人間」であるということがはっきりわかってしまうのだ。
良く緊張した時などに「相手を何に使うかわからないネジと思え」というアドバイスがある。
緊張しない代わりに気が散りそうだが、人は相手が無機物であれば緊張しなくて済むのである。
よって、より「人間感」が薄いテキストの方が、初対面の人でも声がかけやすいのである。
だが相手の人間感が薄いことによりコミュニケーションのハードルが下がるメリットがある一方で「暴言などを言いやすい」というデメリットもある。
実際ネット上には、相手をネジだと勘違いしているとしか思えない罵詈雑言を吐いてしまっている人がいるが、残念ながら相手はネジではなく人間なので、名誉棄損罪も適用されてしまう。
話しかけやすい、というのはネットテキストコミュニケーションの良いところでもあり悪いところでもある。
ぜひ、それを暴言を吐くためではなく、推しなどに「い、いつも見てます、す好き!」という好意を伝えるために使って欲しい。
次回は5月18日更新です。
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