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コラム 2023.12.25

『もっと!天幕のジャードゥーガル』谷川 春菜 マンガがもっと楽しくなる必携コラム!毎月25日更新!

もっと!天幕のジャードゥーガル 天文学

モンゴル国立大学研究員・谷川春菜さんによる、大好評のモンゴル帝国コラム連載!

このコラムでは、マンガ『天幕のジャードゥーガル』の舞台となった地の歴史や文化を連載形式で解説しています。今回のテーマは天文学です。
最新話第25幕の中盤で、オゴタイはファーティマに、どうして星が空を巡るか知っているかと尋ねます。これに対してファーティマは、天は回転する球体でその中心に私たちがいると答えています。

オゴタイの問いとファーティマの答え(第25幕)

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

このような、宇宙が球でできているという考え方(天球概念)は、古代ギリシャで発達し、その後、ファーティマの故郷をふくめ、イスラーム圏で広く受け入れられました。
古代ギリシャにおける天球概念の最初期の集大成は、エウドクソス(前4世紀、プラトンの弟子)による同心天球モデルです。このモデルは、幾何学に基づいて天文学を組み立てようとした、世界で最初の試みでした。

同心天球モデル

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

エウクレイデス(前3世紀、著書『原論』)によって、幾何学が厳密な学問として体系化されたのち、プトレマイオス(1~2世紀、著書『アルマゲスト』)などが、惑星の不規則な運動を幾何学モデルで説明することを試みました。

プトレマイオスが組み立てたモデル

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

惑星以外の星を毎晩同じ時間に観察すると、その位置は少しずつ西へ移動していきますが、惑星の位置はときに西へ、ときに東へ、ときに速く、ときにゆっくり、不規則にふらふら移動します。
プトレマイオスが組み立てたモデルでは、地球ではない点を中心とする導円、導円上を巡る周転円、導円の中心を挟んで地球とは反対側にある点「エカント」といった概念を使って、地球から見た惑星の速度の不規則性の説明が試みられています。(注1)

エウクレイデスとプトレマイオスの名は
マンガ本編第2幕にも登場しています

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

以上のようなギリシャの学問は、のちにイスラーム帝国アッバース朝(750年~)に受け継がれることとなります。アッバース朝では、ギリシャ語の書物のアラビア語翻訳が盛んに行われ、またギリシャの学問に通じた学者たちが宮廷で権力者たちの助言者として活躍しました。945年に首都バグダードの統治がブワイフ朝(932~1062年)に移管され、アッバース朝の権力が実質的に消滅した後も、同様の学者たちがイスラーム圏各地の宮廷で活躍していくこととなります。ブワイフ朝宮廷のイブン・スィーナーやビールーニーがその好例です。(注2)

イブン・スィーナー、ビール―二―の名も
マンガ本編第2幕に登場しています

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

イスラーム圏において、プトレマイオスの宇宙モデルを検討して修正を加え、さらに発展させた学者として、トゥースィー(1201~1274年)がいます。彼は下図のようなモデル(一定の速度で等速回転している球内に、その半分の半径を持つ球が組み込まれたモデル。「トゥースィーの対円」と呼ばれる)で、惑星の不規則な動きを説明しました。

トゥースィーの対円

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

このモデルは、コペルニクスが地動説を提唱した『天球回転論』(1543年出版)の第3巻4章にも登場しています。コペルニクスはトゥースィーの名前を挙げていませんが、なんらかの形で彼の天文学を受け継いでいたと推測されています。(注3)

(注1) 三村太郎『天文学の誕生―イスラーム文化の役割』岩波書店、3~8ページ、2010年
※プトレマイオスのモデルについて、詳細は下記webサイトをご参照ください。
国立天文台 暦wiki「アルマゲスト」https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/A5A2A5EBA5DEA5B2A5B9A5C8.html#l2bd081f
(注2) 『天文学の誕生―イスラーム文化の役割』93~103ページ
(注3) 『天文学の誕生―イスラーム文化の役割』110~112ページ
荒木裕太「コペルニクスとマラーガ学派の天文学における理論的同一性とその伝播ルートの仮説について」『哲学・科学史論叢』25、29~63ページ、2023年

トゥースィーはモンゴル帝国と関わりの深い人物です。彼は、モンゴル帝国のイラン・イラク地域の政権であったイル・ハン朝(1256頃~1353年)の君主フレグのもとで、天文台の建設や『イル・ハン天文便覧』の編纂(1272年頃編)に携わりました。
この便覧には、当時モンゴルの為政者たちが用いていたキタイ暦(キタイとは北中国のこと)と、イル・ハン朝領内で用いられていた5つの暦(セレウコス暦、ヒジュラ暦、ヤズデギルド暦、ジャラーリー暦、ユダヤ暦)がまとめられていますが、暦の間に優劣をつけるとか、いずれかの暦に統一して日付表記を行うといった記述はみられません。このことは、モンゴル帝国の政治方針──異なる知的伝統を統一しようとせず、多様性を保つことで、政策決定の際「セカンド・オピニオン」を得やすくする──の一例とみることができます。
ほかの例として、皇帝フビライ(1215~1294年、元朝の創始者)がキリスト教徒・イスラーム教徒・漢人の占星術師たちを多く召し抱え、それぞれの流派の占いを行わせていたこと、フビライ以降の元朝において、漢人の天文学者がつとめる天文台「漢児司天台」と、イスラーム教徒の天文学者がつとめる天文台「回回司天台」が併設されていたことが挙げられます。また、イル・ハン朝君主フレグが西方遠征においてバグダード攻撃を行う前夜、攻撃反対派の宮廷占星術師フサーム・アッディーン(イスラーム教徒)と、攻撃賛成派の仏教徒たち、将軍たち、トゥースィーの両派に意見を求め、その上で決断を下したという逸話も、事例の一つとみなすことができるでしょう。 (注4)
なお、チンギス・カン以来、モンゴル帝国では特定の宗教ではなく、仏教、景教(ネストリウス派キリスト教とも)、道教、イスラームといった多様な宗教の指導者たちに納税を免除し、そのかわり皇帝に良い天命が下されるよう祈ってもらうという方針が取られていました。(注5)

(注4) 諫早庸一「天文学から見たユーラシアの一三世紀―一四世紀―文化の軸としてのナスィール・アッディーン・トゥースィー(一二〇一―一二七四年)」『史苑』79(2)88~114ページ(とくに97~105ページ)、2019年
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/18015
※『イル・ハン天文便覧』についてはこちらも↓
須賀隆、諫早庸一「『イル・ハン天文便覧』に見える中国暦・ヒジュラ暦換算表の再構―モンゴル帝国期東西天文学交流の再考」第5回「歴史的記録と現代科学」研究会集録、2019年
https://www2.nao.ac.jp/~mitsurusoma/gendai5/26_suga.pdf
(注5) 松田孝一「モンゴル時代中国におけるイスラームの拡大」堀川徹編『講座イスラーム世界3―世界に広がるイスラーム』栄光教育文化研究所、158-192ページ(とくに160~162ページ)、1995年

ここまで、第25幕中盤のオゴタイの質問とファーティマの答え(どうして星は空を巡るのか―天は回転する球体でその中心に私たちがいる)から話を広げて、天文学の歴史を追ってきました。
第25幕で、ファーティマの答えのあとオゴタイは、昔聞いた話として、星々は柱(北極星)に繋がれて回る天の家畜たちだという説を語ります。

オゴタイが昔聞いた話(第25幕)

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

これと似た話が、シベリアやモンゴル、中央アジアのシャマニズム(巫術)を研究したウノ・ハルヴァの著書にみられます。キルギス人は北極星に最も近く位置して弧を描いている小熊座の三つの星を「綱」と呼び、それに二つの大きめの星、つまり「二頭の馬」がつながれていると考え、またモンゴル人は天の星は大きな馬群と考えていたということです (注6)。第25幕のオゴタイの語りは、こうした伝承に基づいて描かれたものと思われます。

ちなみに、ファーティマやオゴタイとほぼ同時代に当たる13世紀半ばに、モンゴルの人々が星々の巡りをどのように見ていたのか窺い知る材料として、キリスト教宣教師カルピニ、ルブルクの旅行記があります。
カルピニの旅行記には、モンゴルの人々は新しいことを始めるとき新月か満月の日を選ぶ、月を大皇帝と呼んで跪いて祈る、月は太陽から光を受けているので、太陽は月の母と考えているといったことが書かれています。(注7)
ルブルクの旅行記によると、モンゴルには占星術に長けた占い師たちがいて、日食や月食を予言していたそうです。日食・月食中、人々は自宅に閉じこもって太鼓や楽器を鳴らして騒ぎ、日食・月食が終わると自由に飲み食いして楽しんでいたということです。 (注8)

(注6) ウノ・ハルヴァ著、田中克彦訳『シャマニズム1―アルタイ系諸民族の世界像』平凡社、199、209ページ、2013年
(注7) カルピニ、ルブルク著、護雅夫訳『中央アジア・蒙古旅行記』講談社、第1部3章「タルタル人の神の礼拝、かれらが罪悪とみなすこと、占いとお祓い、葬儀そのほかについて」、2016年
高田英樹訳『原典中世ヨーロッパ東方記』名古屋大学出版会、42ページ、2019年
(注8) カルピニ、ルブルク著、護雅夫訳『中央アジア・蒙古旅行記』講談社、第2部35章「占者たち」、2016年
高田英樹訳『原典中世ヨーロッパ東方記』名古屋大学出版会、270ページ、2019年

おまけ

天文学の発展には、精密な観測機器が不可欠です。古代ギリシャで開発されたのち、イスラーム圏で改良が加えられ、広く使用されていた天文観測機器として、アストロラーベがあります。1日5回の礼拝の時刻やメッカの方位を確定できるほか、天体や計時の通年のデータ、地理的計算、占星術の情報など、多種多様なデータの処理に役立ったそうです。(注9)

マンガ本編第1幕のアストロラーベ使用シーン

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

アストロラーベの構造

『もっと!天幕のジャードゥーガル』

(注9) H・R・ターナー著、久保儀明訳『図説 科学で読むイスラム文化』青土社、101~102ページ、2001年(アストロラーベの構造図は同書123~124ページより引用)

次回は1月25日更新です。▶︎▶︎▶︎マンガ本編はこちらから

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