年末年始はなんとなくいつもは見ないテレビを見るようにしていたのだが、今年は21時頃にツイッターの方が見たいという禁断症状が起こったため、パソコンの部屋に戻り、さらに年越しそばの天ぷらの油に胃が耐えられず無限に吐きながら23時には就寝、目を覚ましたらあけてました、という最高のスタート横転をキメることに成功した。
今年いつもより早く手が震え出したのは年末恒例の「笑ってはいけない」がなかったせいと思われる。
マンネリと言われ続けてはいたが、今まで私のツイ中を毎年22時45分ぐらいまで抑えていたのはさすがとしか言いようがない。
何故今年笑ってはいけないがなかったのだろうか、私の観測範囲では「ことの真相」みたいな情報は流れてきていないので、単純に「メンバーの年齢的にきつい」という一番平和的な理由だったのかもしれない。
もしのっぴきならない理由があれば、真偽はともかくいつものスプリングバズーカが文春のお喜びを申し上げているはずである。
芸能界のみならず、今のご時世何かを隠し通したり、嘘を突き通すのが大変難しい世の中になってきた。
その原因は人間の発言や言動の記録が簡単かつ正確になってきたのと、我々に録音や撮影の習慣がついたためと思われる。
特にスプリングの国の人など、特殊なお店の女王様がトイレに行くたびに「これもったいないな」と思うようになるの同じように、人と会話するたびに「これ使えるかもしれないから録音しておこう」という習慣がついてしまっているのではないか。
そういえば、笑ってはいけないでも「録音してへんやろな」という、まだカサブタもできていない新鮮な肉が見えてしまっているネタをやって再びちょっと怒られていた。
録音されているかもしれない、と警戒したまではよかったが、それを声に出して録音できる状態、少なくとも人の頭に記憶できる形にしてしまったのは失敗であった。
つまり今の世の中、録音されてマズイようなことは、声に出して言うのではなく脳内に直接語りかけた方がいいということだ。
さすがに「被告が私の脳内に直接語りかけてきました」という証言が通ったという判例はないはずだ。
もし脳内に直接語りかけることができないという場合は「とりあえず黙っておく」ということをお勧めする。
黙るのも不利ではあるが、いらんことを言って相手に有利な証拠を与えるよりはマシである。
昔から「沈黙は金」というが、何でも記録されてしまう世の中において、その金の価値は高騰中である。
SNSも同様であり、面白いことを言うよりも、「いらんことを言わない」ことの方が価値がある。
沈黙に関してはコミュ症に一日の長があるが「焦るといらんことを言う」のもコミュ症の特徴である。
「しゃべるコミュ症よりはしゃべれないコミュ症であれ」これが何でも記録されてしまう時代に生きるコミュ症のライフハックだ。
次回は2月1日更新です。
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