『月曜日のお寺ごはん』青江覚峰 浅草・緑泉寺のお坊さんによる人生相談
#41 目標にする人をつくること
今週の相談:目標とする人をつくった方がいい、私は他人からそう言われることが多々あります。確かに、目標とする人がいれば自分の将来をその人に重ねることができますが、それは自分で人生を選択することから逃げているような気がしてなりません。目標とする人がいない自分は、本当は心から他人を認められていないのでしょうか。どうすれば、目標とする人を見つけられるでしょうか。
「目標とする人を持ちなさい」という言葉は確かに昔からよく言われる言葉です。
しかし、それは質問者さんがおっしゃるような、「自分で人生を選択することから逃げている」ということとは違います。
日本の伝統文化の中で、使われる言葉に「守破離」というものがあります。
最初の「守」は、文字通り守るということ。
その道を歩き始めるにあたって、師匠の教えに従い、流儀を守り、学ぶことを指します。
次ぐ「破」では今まで学んだことをもとに、独自の色を出していきます。
教えを破るわけです。今風に言えばクリエイティブですね。試行錯誤しながら自分の道を探す段階です。
そして「離」では自分の歩みを確実にして、師匠の教えであった型から離れ、独特の世界を作っていきます。
その道における完全な自立です。
誤解してはいけないのは、こと最後に至っても、決して師匠の教えをなくしているわけではないということです。
もともと教わったもの、守ったものの本質をきちんと理解しているからこそ、その上で完全に自分のものとすることが「離」なのです。
「目標とする人を持ちなさい」というのは、これと同じことだと思います。
誰かを目標にしたところで、その人と同じ生き方は決してできません。
生きていく上での指針、道標として誰かの生き方や考え方を拠り所としても、最後は自分の人生を歩むという「離」に誰もが行き着きます。
例えば、身近なところで自分の親を目標にしたとしても、親と自分は違う人間ですから当然歩む道も違います。
時代の先駆者や過去の偉人に倣ったとしても、生き方を参考にしこそすれ、同じ人生を歩むなどは不可能です。
誰でも、まずは親のすることを見よう見まねで育ちます。
それがなければ立つことも食べることもままならないでしょう。
また、どんな文化、文明でも、発展は模倣から始まります。
日本の仏教も、インドで生まれた仏教が中国を経て日本に伝来し、日本の風土、風習に適ったかたちに発展し、定着したものです。
先人からも学ぶことがたくさんあるものです。決して自身で選択することから逃げているなんていうことではありませんよ。
次回は9月23日更新です。
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