最近「昔のツイッターが懐かしい」という声を良く聞くようになった。
これは「あの頃のキレイなツイッターを取り戻したい」という意味ではない。
みながこぞって「俺たちのドブ川返せ」と叫んでいる不思議な現象である。
今も昔もツイッターはドブなのだが、今のツイッターは昔に比べ、社会問題など小難しい話題が多く、何より怒っている人が多いため、見ていて疲れるようになった。
つまり、今のツイッターは煮えたぎり過ぎているので、昔のようにヌルく、何時間でも浸かっていられる肥溜めだったツイッターが懐かしい、という話なのだ。
よって、昔のように、飯と推しの画像に発狂し、コロコロコミックギャグで永遠に爆笑していたあの頃に戻そうぜ、という声も良く聞く。
私もどちらかというと「ツイッター温暖化反対派」であり、あの頃の低俗なツイッターを取り戻したい的なことも言ってきた。
しかし最近それを声高に主張するのもあまり良くないのでは、と思い始めた。
ちなみに誰かに怒られたわけではない、1人で盛り上がって1人で賢者モードになるのはよくあることである。。
最近のツイッターは怒っている人が多い、と言っても全員が「おい!コラ!タコ!コラ!」と長州力のような怒り方をしているわけではない。
最近、長州力さんもツイッターをはじめられたが、本人ですらそんなつぶやきはしていないのだ、いろんな意味でもっとすごいつぶやきをしている。
大体の人が世の中の出来事、自らが受けた理不尽、納得できないことに対して怒っているのだ。
つまり「声を挙げている」のである。
そういう人に対し「そういうことは言わずに、U,S,Aでも踊ろうぜ」と、ひと昔前の提案をするのは「怒りは表明せずに我慢しろ」つまり「泣き寝入りしろ」と言っているに等しいのではないか。
そもそも「声を挙げる」というのは勇気のいることである。
今まで我慢するしかなかった人が、ネットやSNSという場を得て、やっと声を出せるようになったというのなら、それに対し「おいおい、ツイッターでそんなマジな話するなよ」というのは、いじめやセクハラ被害の訴えを「冗談なんだから」で封殺するのと変わらない。
しかし、ツイッターは今思いついたホットな下ネタをつぶやくのだけに使いたい、という人が間違っているというわけでもない。
つまり「ツイッターの使い方が自分と違う人のことを気にするな」ということだ。
下ネタ投下にツイッターを使っている人が、ツイッターを社会問題を語るのに使っている人を見たら、尻の穴に湯のみを入れている人を見た時のように「それはお茶飲むやつやぞ」と言いたくなるだろう。
それは余計なお世話なのであり、それがその人にとっては正しい使い方なのだ。
よって、自分と違う使い方をしている人が見ても「こう使え」と言うのではなく、自分とは使い方が違うのだなと思って、使い方が似ている人とつるんだ方が良い。。
よって、ここで言う「ツイッターはこう使え」という話も、あくまで提案であり、数ある湯呑の使い方の一つだと思ってほしい。
ただ「おキャット様飼いはツイッターに猫を流せ」という主張だけは曲げる気はない、これは提案ではない、命令だ。
次回は2月25日更新です。
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