先日ユーチューバーの人が「肩こりになったことがないので肩がこるという感覚がわからない」と言っていた。
確かに「意識不明の重体」など言葉では知っていても、なったことがないのでそれがどのような感覚かわからないものは多い。
キンタマを強打して謎のジャンプをしている人を見ても、真にその痛みやジャンプせずにいられない気持ちを理解することもできないのだ。
同じように今まで「SNS疲れ」という言葉を普通に使っていたが、よく考えてみると私は一度たりともTwitterに疲れたことがなかった。
よって、SNS疲れとは具体的にどんな状態かと聞かれても「キンタマを打った時の気持ちをお答えください」と尋ねられたのと同じで答えられないのだ。
しかし、体験談を語ることはできなくても「ジャンプしたくなるようです」と知識で語ることはできる。
SNS疲れについてもこのままいくと一生縁がなさそうだが、知識として知っておいた方が良いだろう。
SNS疲れとは一言でいうと「SNS上でのコミュニケーションへの疲れ」だそうだ。
私がなぜ一度もSNS疲れしたことがないのか一瞬で分かってしまった。SNSでコミュニケーションを一切取ってないからだ、基本すべてが独り言であり、リプライに返信することもほとんどない。
もはやSNSを使う意味すらなく、チラシの裏や自分ちの便所の壁にでも書いておけと思うかもしれないが、世の中には人付き合いが嫌いだが、1人カラオケができるほど孤高にもなれない奴というのがいるのだ。
別に聞いていなくていいし一生デンモクをいじっていてくれていい、ただし便所に行くのだけは勘弁な、というタイプで、独り言も本当に人がいないところでは言えないのだ。
結局「不調の原因は大体ストレスで、ストレスの原因はほぼ人付き合い」といういつもの結論なのだが、リアルの人付き合いとSNSの人付き合いの疲れ方は全く異なると思われる。
リアルと同じく、ネットで知り合った人たちとも会話がろくに続かないという「お前は一体どこなら上手くやれるんだ」状態に陥ることもあるが、SNSの場合は「見栄を張るのに疲れる」「いいね数を気にするのに疲れる」という「承認欲求疲れ」の方が大きいようである。
確かに、友達や職場など狭いリアルコミュニティで自慢だのマウントだのとっても嫌われるだけだし、「うちはタワマン最上階だから階段上るのが大変」など見栄がすぐバレて笑いものになる可能性の方が高い。
対してSNSで接する相手は実生活には影響のない不特定多数であり、見栄もバレにくくキラキラも演出しやすいため、つい際限なくキラキラした投稿をしてしまいがちなのである。
しかし蛍光灯が「LEDっす」と言って光り続けても、本物ではないためすぐチカチカしてしまうのだ。
リアルの狭いコミュニティの人付き合いに疲れ、SNSで全方位に見栄を張って疲れる、というのはいくらなんでもMすぎる。
せめてSNSは「今日も職場であいさつ全無視されたけど、私にはTwitterの仲間がいるから全然平気!」という「癒やしの場」として使っていきたいところだ。
次回は4月4日更新です。
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