『もっと!天幕のジャードゥーガル』谷川 春菜 マンガがもっと楽しくなる必携コラム!毎月25日更新!
もっと!天幕のジャードゥーガル モンゴル帝国と歴史書
モンゴル国立大学研究員・谷川春菜さんによる、大好評のモンゴル帝国コラム連載!
このコラムでは、マンガ『天幕のジャードゥーガル』の舞台となった地の歴史や文化を連載形式で解説しています。最新話の第20幕で描かれたトルイの死。彼が大カアン(オゴタイ)の身代わりになって死んだと明記する歴史書もあれば、そうではない歴史書も存在します。また、身代わりになったと記すいくつかの歴史書の間でも、身代わりの経緯を巡って違いがあります。今回のコラムでは『集史』、『元史』、『元朝秘史』、『世界征服者の歴史』でトルイの死がどのように描かれているのか、それぞれの歴史書の成り立ちとともに紹介します。
『集史』
14世紀初頭にイル・ハン国の宰相ラシード・アッディーンが編纂した歴史書です。全3巻あり、第1巻は「モンゴル史」、第2巻は「世界史」、第3巻は「世界地誌」という構成でした。このうち第1巻の内容は、イル・ハン国第7代君主ガザンの命令を受けて編纂されたもの(1307年完成)、第2〜3巻の内容は第8代君主オルジェイトゥの命令を受けて編纂されたもの(1310/11年献呈)ということです。
イル・ハン国は西アジア、現在のイランを中心とする国。ガザンとオルジェイトゥは兄弟で、二人ともトルイの息子フレグのひ孫にあたります。
第1巻「モンゴル史」(正式名称「ガザンの祝福された歴史」)は大きく二つの部分に分かれています。第1部はモンゴル高原の遊牧民を中心に中央ユーラシアの諸集団の歴史を解説した「部族篇」です。第2部では「チンギス・カン紀」、「オゴタイ・カアン紀」など、チンギス・カンの祖先や一族の諸王ごとに項目が立てられ、その生涯や統治期間の出来事が述べられます。原文はアラビア文字のペルシア語ですが、翻訳として、ソ連科学アカデミーによるロシア語全訳、余大鈞、周建奇による現代漢語全訳、W・M・サクストンによる英語全訳、Ts・スレンホルローによるモンゴル語全訳、金浩東による韓国語訳(第2部の「ガザン・ハン紀」のみ未訳)、金山あゆみ、赤坂恒明による日本語部分訳(第1部「部族篇」のみ)があります。なかでも評価が高いのがロシア語訳で、現代漢語訳、モンゴル語訳、日本語訳はロシア語訳からの重訳となっています。(注1)
トルイの死に関する記事は、『集史』第1巻「モンゴル史」第2部「トルイ・カン紀」に含まれています。その内容を整理すると以下のとおりです。
金国遠征の帰路、オゴタイが病にかかる。
→巫術師たちが呪文をとなえ、病を水で清める。
→トルイが登場し、神に次のように呼びかける。もしオゴタイの罪に怒って病で苦しめているのなら、戦争でより多くの人を殺した私のほうが罪は重い。もし神が容姿や能力の優れた者をしもべにしようとオゴタイを選んだのなら、私のほうが優れている。
→巫術師たちがオゴタイの病を清めるのに使った水を、トルイが飲む。
→オゴタイは回復するが、トルイは帰還途中で病にかかり死去する。(注2)
(注1) 金山あゆみ訳、赤坂恒明監訳『ラシード=アッディーン『集史』「モンゴル史」部族篇訳注』風間書房、i〜vi、32〜38ページ、2022年(ロシア語訳からの重訳だが、ペルシア語原文も参照)
大塚修「史上初の世界史家カーシャーニー―『集史』編纂に関する新見解」『西南アジア研究』80、25〜48ページ、2014年
白岩一彦(1995)「『集史』研究の現状と課題」『日本中東学会年報』10、179-198ページ、1995年
※電子版 https://doi.org/10.24498/ajames.10.0_179
※『集史』「モンゴル史」第2部のまとまった形での日本語訳はまだ出版されていません。第2部の情報に日本語でアクセスする手段として、『集史』の引用を多く含む『モンゴル帝国史』(ドーソン著、佐口透訳注、全6巻、平凡社、1968〜1979年)が利用できます。トルイの死についても、この『モンゴル帝国史』第2巻101〜104ページに記載があります。
(注2) ロシア語訳Рашид ад-Дин. Сборник летописей. 2. ソ連科学アカデミー、1952年、110ページ
※電子版https://www.vostlit.info/Texts/rus16/Rasidaddin_3/frametext5.html
『元史』
明朝の国家事業として、李善長、宋濂、王禕が中心となって編纂し、1370年に完成した歴史書です。内容は、チンギス・カンの祖先から元朝皇帝トゴン・テムルのモンゴル高原撤退(1368年)までを扱っています。全210巻あり、その構成は本紀(歴代皇帝の事蹟)47巻、志(制度の解説)58巻、表(皇室の系図など)8巻、列伝(人物伝、外国地誌)97巻です。1368年の明朝成立後2年という短期間で完成したこともあり、内容に漏れや間違いが多いことで知られています。(注3)
また、『元史』は漢文で書かれた歴史書ですが、書き言葉としては奇妙な文体、モンゴル語を直訳した、話し言葉風の漢文が登場する部分があります。巻29「泰定帝本紀」冒頭の泰定帝(=モンゴル帝国第10代皇帝イスン・テムル)即位の詔が有名です。このような文体はチンギス・カンの時代以来、モンゴル帝国の支配者層が出した命令を漢文に翻訳する際に使用されたもので、時代を下るにつれて定型化が進み、漢文としての不自然さを増していったことが分かっています。(注4)
トルイの死については、巻115の「睿宗(=トルイ)列伝」に記載があります。その内容を整理すると以下のとおりです。
金国遠征からの帰還途中、オゴタイが病にかかる。
→トルイが登場し、天地に祈って、オゴタイの身代わりになろうと申し出る。
→巫術師がオゴタイの病を清めるのに使った水を、トルイが飲む。
→オゴタイは回復するが、トルイは帰還後、病にかかり死去する。(注5)
大まかな流れは『集史』と同じですが、トルイが水を飲む前に述べた内容が簡略化され、身代わりとなろうと申し出たことのみが述べられています。
(注3) 「元史」『新釈漢文大系121―漢籍解題事典』明治書院、2013年
植松正「元史」神田信夫、山根幸夫編『中国史籍解題辞典』燎原書店、74〜75ページ、1989年
(注4) 杉山正明「大元ウルスの三大王国―カイシャンの奪権とその前後―上」『京都大学文学部研究紀要』34、92〜150ページ(とくに140ページ)、1995年
舩田善之「蒙文直訳体の成立をめぐってーモンゴル政権における公文書翻訳システムの端緒」『語学教育フォーラム』13、7〜19ページ、2007年
(注5) 『元史』巻115「睿宗列伝」
※『元史』電子版が利用できるWebサイトとして、台湾の中央研究院「漢籍電子文献資料庫」があります。https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm
『世界征服者の歴史』
トルイの息子フレグに仕えたアラーウッディーン・アターマリク・ジュヴァイニー(1226〜1283年)が、13世紀半ばに書いた歴史書です。彼はイラン東部ホラーサーンのジュヴァイン地方の名家出身。父バハー・ウッディーンがモンゴル帝国の官僚をつとめており、ジュヴァイニーも20歳前には出仕していました。彼が友人の勧めを受けて、世界征服者つまりチンギス・カンの歴史を書きはじめたのは1252/53年のことです。このとき彼はモンゴル帝国ペルシア総督のアルグン・アカに随行し、帝国の都カラコルムに滞在していました。その後執筆を続け、1260年にバグダード長官に任命されたころ、書き終えたとのことです。
『世界征服者の歴史』は全3巻構成で、第1巻ではチンギス・カンの勃興、その法令、ウイグルの歴史と伝承、チンギス・カンのホラズム王国征服、第2代皇帝オゴタイと第3代皇帝の時代、ジュチ家、バトゥの西征、チャガタイ家、第2巻ではホラズム・シャー王国の創建から滅亡、カラ・キタイ(西遼)、ペルシア総督、第3巻では第4代皇帝の即位、フレグの西征、イスマーイール派暗殺団の歴史が扱われています。
原文はアラビア文字のペルシア語で、パリの国民図書館に写本が所蔵されており、その校訂本は1912〜37年にミルザー・モハンマド・カズヴィーニーによって出版されました。翻訳として、J・A・ボイルの英語訳(1958年、全2巻)がよく知られています。(注6)
トルイの死については、第3巻の初めのほうに記載がありますが、金国遠征から帰還後、酒の飲み過ぎで死去したとあるのみで、『集史』や『元史』のようなオゴタイの身代わりという要素は全くありません。(注7)
(注6) 本田實信「ジョン・アンドリュー・ボイル博士訳『ジュヴァイニーの世界征服者の歴史』」『東洋学報』42(2)、220-226ページ、1959年
※電子版http://id.nii.ac.jp/1629/00004768/
(注7) 英語訳John Andrew Boyle. The History of the World-Conqueror. Manchester 1958年、549〜550ページ
※英語訳第1巻の電子版https://archive.org/details/historyoftheworl011691mbp/page/n14/mode/1up?view=theater
※英語訳第2巻の電子版https://archive.org/details/historyoftheworl011648mbp/page/n201/mode/2up?q=sorrow
『元朝秘史』
モンゴル人がみずからの言葉で記した最古の歴史書(文学的要素を多く含む)です。著者は不明で、書かれた年代も諸説(1240年説、1228年から1324年まで追補されつつ作成された説など)あります。当初はウイグル文字かパスパ文字のモンゴル語で書かれていたようです。その後、明朝において漢字音訳(モンゴル語の音を漢字で表記)され、行・節ごとに漢文訳が付けられ、現存するのはこの形のものとなっています。全12巻構成と全15巻構成のバージョンがありますが、内容に大きな違いはありません。
ただ、ウイグル文字かパスパ文字の原典は現存しないものの、かなり後までモンゴル人の間に保管されていたようです。というのも、17世紀後半にロブサン・ダンジンが著したモンゴル語の年代記『アルタン・トプチ』には、この原典から引用したと見られる記事が大量に含まれているのです。
『元朝秘史』の内容は、モンゴルの人々の起源、チンギス・カンの祖先、帝国建設の過程、即位とその後の内政、遠征、第2代皇帝オゴタイ・カアンの治世。全体を通して、チンギスとその子孫による支配の正統性が主張され、複雑な史実については必ずしも年代順ではなく、整頓して書かれている部分があり、また韻を踏んで書かれた箇所も多くあります。帝国建設のころまで、モンゴルの人々は文字をあまり使用せず、自らの起源や祖先に関する物語を口伝えで継承しており、『元朝秘史』の文体はそうした状況を反映したものと考えられています。(注8)
トルイの死に関する『元朝秘史』の記載は、大筋では『集史』、『元史』と共通するものの、より多くの要素が盛り込まれ、ドラマチックな印象を与えるエピソードになっています。その内容を整理すると以下のとおりです。
金国遠征の帰路、オゴタイが病にかかり、舌を動かすことができなくなる。
→巫術師たちの占いによれば、病の原因は金国の土地の神、河水の主の祟りだという。
→親族から身代わりを差し出したら祟りがおさまるかもしれないということで、それを巫術師たちが占ったところ、オゴタイの病状が和らぐ。
→オゴタイの側にいたトルイが、自身には大きな罪があり、また容姿も優れているので、身代わりになろうと名乗り出る。
→トルイは巫術師たちに水を呪わせ、その水を飲んだ後、酔ってしまったと言って外に出ていき、まもなく亡くなる。
→オゴタイが病から回復する。(注9)
(注8) 吉田順一「元朝秘史」『世界百科大辞典』平凡社、2014年
吉田順一「元朝秘史の歴史性ーその年代記的側面の検討」『モンゴルの歴史と社会』風間書房、3-37ページ、2019年(初出:吉田順一「元朝秘史の歴史性ーその年代記的側面の検討」『史観』78、40-56ページ)
(注9) 村上正二訳注『モンゴル秘史3』315〜325ページ、1976年
次回は7月25日更新です。▶︎▶︎▶︎マンガ本編はこちらから
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