今ふと思ったのだが、今の若者に「テスト前に限って部屋の掃除をはじめてしまう」という現象は通じるのだろうか。
これはテストの点数と己の未来に絶望し、身辺整理を始めた、という意味ではない、テスト勉強をしたくないがための「逃避行動」である。
私も今も毎日原稿など、気乗りしないやるべきことがあるが「原稿やりたくないから掃除をしよう」とは絶対にならない。
もし原稿の逃避に掃除をしていたら、私の部屋は今ごろミニマリストか、猟奇殺人鬼の部屋みたいにコンクリートの壁しかなくなっていると思う。
何せ今は、原稿をしたくなければツイッターをすれば良いからだ。
「勉強をしたくないから部屋の掃除をする」などというのは「さつまいもの根っこは食いたくねえから、大根の葉っぱを食う」みたいな、物資不足の戦前の発想である。
つまりネット普及前の学生の行動だ。
パソコンやスマホがある今「掃除をしたくないからツイッターをする」など、掃除は逃避先から逃避元に降格である。
今の子どもたちはこんなに有能な逃避先が生まれた時から存在していて人生ハードモードすぎないだろうか。
儲かっているユーチューバーが呼び寄せたウーバーイーツたちを戦わせて生き残った奴だけの商品を食う、みたいなド派手なことをしているのを横目に、果たして、リコーダーの練習とか朝顔の観察日記とかする気になるのだろうか、今の子どもは誘惑も危険も多くて大変だ。
しかしそうは言っても子どもは親の支配下にある、テスト期間中などになるとスマホやゲーム、ネット環境を没収されるため、いまでも「テスト前に限って掃除文化」は残っているのかもしれない。
つまり今の子どもより、ネット環境を奪ってくれる保護者がいない上、周囲に「もう注意する価値もない」と思われている「現在の中年」の方がハードモードという可能性はある。
しかし「やらなければいけないことがあるのにツイッターを見てしまう」というのは誰にでもあることだと思うが、この現象にはもう1パターンある。
例えば休みの前日に、録画していたアニメを消化しようとか、推しの絵を描いてピクツブに投稿しようとか、いろいろオラワクワクすることを計画していたはずなのに、当日結局何もせず、ツイッターだけ見て一日が終わったという人の姿を最近よく見かけるのである。
つまり、やりたくないことだけではなく、楽しいことでさえツイッターに阻まれてできなくなっているケースがあるのだ。
そんなに、ツイッターはどのエンタメよりも愉快なのか、というとそんなことはない。
時々ウンコの混じった140時程度の文章よりも、プロが巨額の製作費を投じて作った映画やゲームの方が面白いに決まっている。
時々、クソ映画やクソゲーもあるが、クソとしてのダイナミズムが違う。
ツイッターがすごく面白いというわけではない、ただツイッターに比べたらどのエンタメも「面倒くさい」と感じてしまうのである。
映画を見ようにもまず二時間ぐらい拘束されると思ったら面倒くさいし、話を理解するのも面倒くさい、推しを描くのも基本的に目のハイライトを入れる以外は面倒くさい。
その面倒臭さを考えると、頭も使わず、ひたすら流れて来る140文字の文章を読み続けるだけでいいツイッターの方にいってしまうのだ。
つまりツイッターは逃避先であると同時に、他の楽しい事を「遠ざける」存在でもある。
今まで楽しかったことが楽しめないのは鬱の前兆にも似ている。
ツイッターもまあまあ楽しいが、他のことも今まで通り楽しめるよう、たまには「ツイッターから逃避」する必要がある。
次回は9月22日更新です。
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