『もっと!天幕のジャードゥーガル』谷川 春菜 マンガがもっと楽しくなる必携コラム!毎月25日更新!
モンゴル帝国史研究者に聞く―村岡倫氏
モンゴル国立大学研究員・谷川春菜さんによる、大好評のモンゴル帝国コラム連載!
このコラムでは、マンガ『天幕のジャードゥーガル』の舞台となった地の歴史や文化を毎月連載で解説してきました。
今年6月からは趣向を変えて、『天幕のジャードゥーガル』読者のモンゴル帝国史研究者の方々に、マンガで描かれた歴史上の出来事や人物像に対する感想、また元ネタや結末を知ったうえでの楽しみ方についてインタビューしています。
今回は村岡倫(むらおか ひとし)氏にお願いしました。お引き受けくださり、誠にありがとうございます。
――ご所属と研究テーマを教えてください。
所属は龍谷大学文学部歴史学科東洋史学専攻です(詳しくはこちら)。
専門はモンゴル帝国史で、とくにユーラシア東部に存在したウルスについて、そのあり方や歴史上の意義を研究しています。モンゴル帝国時代、ユーラシアの各地において、チンギス・カンの子孫が、大小さまざまな規模の国家、遊牧集団を作っていて、これらは「ウルス」と総称されています。このうち有名なのは、高校世界史の教科書でイル・ハン国やキプチャク・ハン国、チャガタイ・ハン国などと書かれる大規模な国家ですが、その他にも小型のウルスが多数存在し、そのあり方は一様ではありませんでした。
――『天幕のジャードゥーガル』を知ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
今年7月15日、『京都新聞』朝刊一面の「漫画のフキダシ」というコーナーで、『天幕のジャードゥーガル』が紹介されていたんです。このコーナーは、いろんな漫画の登場人物のセリフを取り上げ、それに対して担当者がコメントをつけるというものです。『天幕のジャードゥーガル』の主人公ファーティマに対し、モンゴル帝国皇帝オゴタイの后ボラクチンが述べたセリフ「これからの帝国を作るのは力ではない、知恵だ」が取り上げられていて、そこから興味を持ちました。
その後8月にモンゴルに行って、宇野伸浩さん(本コラム前々回でインタビューさせていただきました)とお会いした際にも勧められ、それで読んでみたという次第です。
――歴史を題材にしたマンガやドラマなど、普段から楽しまれていますか?
マンガはあまり読まないのですが、長期休みなど暇があるときには、中国や韓国の歴史ドラマを観ています。これまで、たとえば『フビライ・ハン―忽必烈傳奇』、元朝皇帝トゴン・テムルの后が主人公の『奇皇后―ふたつの愛 涙の誓い』や、唐・玄宗皇帝の孫の妻が主人公の『麗王別姫―花散る永遠の愛』、隋の初代皇后が主人公の『独孤伽羅―皇后の願い』などを観ました。
――研究者間、あるいは学生さんと歴史マンガやドラマの話をすることはありますか?
研究者同士でいろいろ話をすることはありますが、同じ大学の同僚の先生とは、歴史ドラマの情報交換をしています。
学生とはあまりそういった話題にはならないですね。ただ、この前ゼミで『天幕のジャードゥーガル』と解説コラム「もっと!天幕のジャードゥーガル」の紹介をしました。今度、ペルシャ語や東洋史概説の授業などでも紹介しようと考えています。
このペルシャ語の授業では毎年後期に、歴史書『集史』の一部分を講読しているのですが、今年はせっかくの機会なので、『天幕のジャードゥーガル』主人公ファーティマのモデルとなった女性が登場する部分を読む予定です。
――『天幕のジャードゥーガル』における歴史上の人物や出来事の描き方について、どのようなご感想をお持ちでしょうか?
私自身の研究に引き付けて言うと、とくに興味深い登場人物は、チンカイとクランですね。
チンカイはチンギス・カンの功臣の一人で、中央アジア遠征の拠点となったチンカイ城を建てた人物です。この城の場所については古くから論争があったのですが、モンゴル・日本共同調査「ビチェース・プロジェクト」でその跡(モンゴル国ゴビアルタイ県シャルガ郡のハルザン・シレグ遺跡)を発見することができました。私個人でも、チンカイ城に関する論文をいくつか書いています(注1)。
『天幕のジャードゥーガル』第1巻に、主人公ファーティマがチンカイと長春真人の一行に出会う話がありますよね。このときチンカイは、チンギス・カンに会うためにやって来た長春真人(全真教の道士)をチンカイ城で出迎え、チンギス・カンのもとまで道案内する途中でした。この話のなかで、チンカイはウイグル人で元商人、ペルシャ語もできるということが描かれていますが、これは研究者レベルの知識ですよ。
また長春真人が日食について質問するシーンもありますが、これは『長春真人西遊記』という旅行記に元ネタがあります。トマトスープ先生はそんなことまでご存じなのかとびっくりしました。
クランはチンギスの后の一人で、モンゴルではとても有名な人物です。以前私は、クランとチンギスの間に生まれた息子コルゲンとその子孫について研究(注3)を行ったことがあって、そういう意味で、『天幕のジャードゥーガル』でのクラン登場は、とても嬉しかったです。
『五族譜』などペルシャ語史料によると、クランはチンギスの死後、義理の息子オゴタイと再婚したそうです。こうした形の再婚(レヴィレート婚)は、当時のモンゴルで広く行われていていた習慣ですが、『天幕のジャードゥーガル』には、この要素もしっかりと盛り込まれていて驚きました。
オゴタイ・カアンの后ボラクチンも魅力的なキャラクターですね。彼女については、史料から得られる情報が少なく、歴史研究上は不明なところが多い人物です。『天幕のジャードゥーガル』では、そんなボラクチンに重きが置かれ、主人公ファーティマとドレゲネの前に立ちはだかるキャラクターとして描かれていて、非常に感心しました。これまでほとんど日の当てられてこなかったボラクチンに、このような大事な役を割り当てた、その発想がどこから来たのだろうというのは疑問に思っていて、ぜひ機会があればトマトスープ先生にうかがってみたいところです(注4)。
先ほどお話しした『京都新聞』のコラム「漫画のフキダシ」では、ボラクチンのセリフ「これからの帝国を作るのは力ではない、知恵だ」を取り上げ、それに対して「一見平和的に聞こえるが、帝国の維持といったはかりごとに利用される知恵は結局、力=暴力と変わらないのではないか」とコメントされていました。このコメントについて、私個人としてはちょっと思うところがあります。確かに歴史上のさまざまな専制国家が、政権の維持のため、暴力とあまり変わらない知恵を発揮したのは確かでしょう。ただモンゴル帝国というのは、第2代皇帝オゴタイの時代はとくに、嫌がる人たちを暴力で無理やり押さえつけて拡大したのではなくて、商人との結びつきを重視し、支持者、協力者を集めながら拡大していったという面があるわけです。
『天幕のジャードゥーガル』では、こうしたモンゴル帝国の知恵の本質がうまく表現されていると思います。オゴタイが主人公ファーティマに語ったセリフ「お前たちがここで幸せになったら俺の勝ちだ」にもよく表れていますよね。
オゴタイのセリフ(第25幕)
(注1) 村岡倫「チンカイ・バルガスと元朝アルタイ方面軍」『13-14世紀モンゴル史研究』2016年、85~97ページなど
(注2) Facebookページ「Шарга Сум Соёлын Төв」
場所はこちら
写真は2枚ともコラム筆者撮影
(注3) 村岡倫「チンギス・カンの庶子コルゲンのウルスと北安王」『13-14世紀モンゴル史研究』2、2017年、21-35ページ
村岡倫「『元史』食貨志歳賜と地理志から見るコルゲン・ウルスの変遷」『龍谷史壇』151・152、2021年、1~28ページ
(注4) ファーティマやドレゲネの前に立ちはだかる人物としてどんな人物がいるだろうと考えた時、オゴタイの第一夫人ではどうかと思いつきました。
またトルイの死を、物語の中では毒殺という形にしたかったので、誰が犯人になるかというところでもボラクチンが思い浮かびました。彼女については、全真教の集大成「道蔵」を作らせたというわずかな情報しか私は知ることができなかったため、そこから思い切って物語の中で活躍できるようにキャラクターを組み立てました。
また、マンガ第2巻31ページ(第9幕)のチンギス・カンが遺した軍勢の図や、
第2巻35ページ(第9幕)の遺失物管理官(注5)、
第2巻109ページ(第12幕)のモンゴル軍の基本構造の図、
第3巻58ページ(第17幕)の「オゴタイ家が前線基地を置いた山西地方――ここは古くから遊牧民にとって過ごしやすい場所である」(注6)、
第4巻69ページ(第24幕)の「モンゴル族の言葉で「クドカ」はオイラト族の「マダガ」のことです」(注7)
といった何げない一コマ一コマに、研究者レベルの知識に裏打ちされた描写が多々あって、これはすごいなと驚きました。こうした知識をどのようにして集められたのかについても、ぜひトマトスープ先生にうかがってみたいです(注8)。
(注5) 詳しくは、本コラム「モンゴル帝国お仕事図鑑」の「遺失物管理官」
マルコ・ポーロ 著、愛宕松男 訳注『東方見聞録』1、平凡社、1970年、236~237、241ページ(なお『東方見聞録』を扱った論文として、村岡倫「マルコポーロ旅行記が語る「カイドゥの反乱」」『東洋史苑』97、2023年、1~35ページ)
(注6) 詳しくは、村岡倫「モンゴル時代の右翼ウルスと山西地方」『碑刻等資料の総合的分析によるモンゴル帝国・元朝の政治・経済システムの基礎的研究報告書』2002年、151~170ページ
(注7) 詳しくは、ラシード゠アッディーン著、金山あゆみ訳注、赤坂恒明 監訳『集史』「モンゴル史」部族篇 訳注 風間書房、2022年、160ページ
本コラム「ウラガワ!からの読書案内+おまけ」の「おまけ―帝国時代のモンゴル語の“方言”」
(注8) 日本語で読める研究書や論文が、国会図書館などアクセスしやすいところにあったことで大変助けられました。
村岡先生の論文もいくつか参照させていただきました。
――『天幕のジャードゥーガル』ストーリーの元ネタや結末のかなりの部分をご存じと思いますが、知ったうえでどのようにマンガを楽しんでいらっしゃるのか、教えていただけますでしょうか。
主人公のファーティマやドレゲネがどのような結末を迎えたのかは、史実としては知っていますが、トマトスープ先生がマンガ作品としてどのような最終回を用意されているのかを楽しみに読んでいます。
ボラクチンについては、史実として分かっていることが少ないぶん、今後マンガでどのように描かれるのだろうという思いがあります。マンガ第4巻の序盤では、政権維持のため政敵潰しを画策するボラクチンの姿が描かれ、『天幕のジャードゥーガル』の「ジャードゥーガル(ペルシャ語で魔女の意味)」ってボラクチンのことなの?という感じですよね。
ただ第4巻の中盤になると、ファーティマとドレゲネが「今度は私たちが魔女となりましょう」と決意するシーンが出てきます。今後の展開がますます楽しみです。
また、1235年に建設が開始される都カラコルムの宮殿や、1246年にカラコルムを訪れるキリスト教修道士プラノ・カルピニが、もしマンガに登場するなら、どのように描かれるのかというところも楽しみにしています。
――インタビューにご協力くださり、ありがとうございました。最後に、トマトスープ先生にお伝えしたいことなど、コメントがございましたら、お願いいたします。
モンゴル帝国史には魅力的な女性(たとえばチンギスの孫娘で、チャガタイ家に嫁ぎ、夫の死後ウルスを掌握したオルガナ、政治的権力を握って活躍した女性としては、ほかにもグユクの后オグル・ガイミシュや、クビライの息子チンキムの后ココジン、チンキムの息子ダルマパーラの后ダギ、ダルマパーラの弟テムルの后ブルガン、また武に優れた女性として、オゴタイの孫カイドゥの娘アイジャルク/クトゥルン・チャガンなど)がたくさん登場しますので、ぜひこうした女性たちを題材に想像力を膨らませて、いろいろな作品を描いていっていただければ嬉しいなと思っています。
次回は11月25日更新です。▶︎▶︎▶︎マンガ本編はこちらから
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