何の気なしにツイッターのプロフィール欄を見たら、私がツイッターを始めたのは2010年の1月であった、つまりいつの間にか10年経っていたのである。
しかし、ツイッター歴は10年程度だが、費やした時間はすでに30年ぐらいになっていると思う。
つまりこの10年、時空が歪むぐらいツイッターをやっていたということだ。
こんなに1つのネットツールを長く使い続けたのは初めてかもしれない。
HPやミクシィ、ブログなどはそれなりに続いたが10年とはいかず、フェイスブックも5年ぐらい放置しているし、インスタにおいてはプロフィール画像を設定した時点で終わった。
ツイッターなどのSNSを長続きさせるコツは何なのか。
そんなコツ不要であり、むしろツイッターが長続きしてしまったことにより10年中30年の時を無駄にしてしまったのだから、続かない方が良かったのではないかと思うかもしれない。
だがそれは「ツイッターにさえハマらなければ、仕事や家事に集中できたはず」という錯覚の話でしかない。
ツイッターがなければなかったで、30年間虚空を見つめ続けたに決まっている、それならばまだウンコと死体の合間におキャット様が流れて来るツイッターを見ていた方が3兆倍有益である。
それに、1つのコミュニケーションツールを使い続けることで良いこともある。
それは「長い付き合いの知人」が出来るということだ。
「友人」と言えないところが我々の心の弱いところだが、10年以上ツイッターをやっていると、何だかんだで顔も名前も知らないまま性癖だけは知っている、というか新しい性癖に目覚める瞬間にも立ち会った、数年来の知人が1人や2人できているものである。
ネット上の人間関係など希薄なもので、それよりリアルでの人間関係を大事にすべきとはよく言うが、何故ネットとリアルの人間関係の優劣を決め、どちらか選択させようとするのか。
どちらかを選んで、どちらかを皆殺しにしなければいけないということはないのだから「どちらも大事だし、どっちに重きを置くかは人それぞれ」で良いではないか。
どちらか、ではなくリアルとネット、どちらにもネットワークはあるに越したことがないのだ。
そうすることでリアルでの人間関係が断絶してしまった時、ネットの繋がりが「命綱」になることだってある。
例えば長くツイッターをやっている人間が「今日誕生日だ」とつぶやけば、2,3人ぐらいでも「おめでとう」とリプを返してくれるものである。
この「おめでとう」の価値は、リアルでも「おめでとう」を言ってくれる人がいるうちは軽く感じられるかもしれない。
だがそれが一人もいなくなった時、この「おめでとう」は「現世に留まる意味」ぐらい重くなるかもしれないのだ。
特に大人になるとリアルでは新しい友人が作りづらくなるし、さらに老になると友人が物理的にいなくなり孤独に陥ってしまうケースが多いそうだ。
そんな時、例えネットでも毎日言葉を交わす人間がいるというのは確実に救いになるはずである。
つまり、SNSに時間を費やすのは無駄と言うわけではない、むしろ老後のクライシスを救うかもしれない人間関係を構築する大事な時間である。
次回は11月3日更新です。
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