先日、別媒体のコラムで「某ウマ娘に20万ほど課金した」と書いたところ、ドン引きのコメントが多数寄せられたため、驚愕した。
何故なら「本当の金額を書いたらドン引きされるから、20万ぐらいにしておこう」と逆盛りして書いていたからである。
ここではじめて「ソシャゲに20万課金するのは非常識、少なくとも大多数の感覚とは違う」ということを、ちいおぼえた。
場合によってはここで若人に「何言ってるかちょっとわからないですね」という顔をされ「ちいおぼえたは20年前のネタ」ということにも気づかされたりする。
ただ、今回は引かれただけだが、「炎上」というのは大体この「大多数と感覚が違う」ことで起こる場合が多い。
しかし「非常識」と言っても「常識とは何かね?」という話である。
もはや若人に通じない以前にパロディかどうかすらわからないことを言ってしまったが、ギャグがスベるのも感覚の違いで起こる事故の一つである。
何せ、多様化の時代である、もはや「普通」という言葉すら差別的と言われてしまうほどだ。
よって感覚がマイノリティだからと言って即炎上するというわけではない、悪くて私のように引かれてしまうぐらいだ。
炎上するのは「年金暮らしの親のクレカで20万課金した」など、非常識な上にモラルを蹂躙していたり「今日映画を見に行ったが、何の説明もなく「織田信長」とかいうオリキャラを出されても困る、監督は何を考えているんだ」など、非常識な上に自分が正しいと信じて疑わず、他人を非常識扱いしている場合である。
しかし、常識というのは生まれ持って身についているものではない、誰しも脳に「信長」と彫られて生まれてくるわけではないのだ。
何かの偶然が重なって、信長を一度も通らずにここまで来てしまったということは誰にでも起こり得る。それは育った環境によるところが多いため、必ずしも本人のせいというわけでもない。
公の場で発言する人が、感覚が世間とかけ離れすぎているのは問題かもしれないが、一個人であればいきなり「非常識な」と火を点けず、せめて一回ぐらいは「ご存じないかもしれませんが、信長というのは日本じゃ割と有名なんですよ」と教えるぐらいの寛容はは必要である。
しかし、ツイッターというのは「生まれながらにNOBUNAGAタトゥーが彫られていて当たり前」という世界観なため、勘違い発言には「たしなめ」というワンクッションすら入れずにすぐ着火される場合もある。
よってツイッターのみならず、大勢の前で発言する時は、自分の常識が本当に常識が、常識からはずれているぐらいならまだいいか、倫理までも飛び越えてないか、常に疑ってからの方がいい。
幸い私は今回引かれただけで済んだし「ソシャゲに20万というのはあまり一般的な行いではない」ということを学ぶことができた。
よってその学びを生かし、課金を控える、ということはなく「課金額は人に言わない」ようにしようと思う。
次回は6月29日更新です。
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