最近「オリンピックに関わると村は焼け男は殺され女は攫われ老人と子供は井戸に投げ込まれて、おキャット様は末永く幸せに暮らす」が誇張ではない出来事が立て続けに起こったため「オリンピックなんてやめればいいのに」というのが、ツイッターのメインストリームであった。
しかし、オリンピックはツイッターの人たちがやめろと言っているのでやめました、ということはなく、昨日無事に開会式が行われた。
するとツイッターのタイムラインはオリンピックの開会式を割と楽しんでいる人たちで溢れかえった。
もしツイッターが一つの人格だったら、灼熱の手のひら返しを越えて、ただの情緒不安定である。
ただこれはオリンピック反対派の人は開会式を見ておらず、実はオリンピックを普通に楽しみにしていたが、あまりにも言い出しづらい空気になってしまったため、黙っていた隠れキリシタンみたいな人たちが急浮上してきただけと思われる。
ここでオリンピックの是非を問うつもりはない、そもそも1秒も見てない奴が是非を問う方がおかしい。
しかし、ネット、特にSNSをはじめてから「1秒も見てないものや1回も会ったことがない人の是非を問う」ということを平気でやってしまっているような気がする。
何故ならネット上には、ことのあらましを全て説明してくれた上、最後に痛烈な自分のお気持ちを表明してくれる方が多数いらっしゃるのだ。
そこまで親切にしていただいたらこちらも「本当のことは何もわからないけど私もあなたと同意見で構いません」というのが礼儀というものだろう。
限られた時間の中で、ことのあらましだけをすぐ知ることができる、色んな人のお気持ちを聞くことができる、というのはネットやSNSの良いところだが逆に「自分の目で確かめるのがダルくて仕方がなくなる、そして「自分の意見がどこにもなくなる」という問題もある。
最近問題になっている「ファスト映画」や他解説動画も、本来なら2時間ぐらいは視聴にかかる映画のあらすじを10分程度にまとめ、さらに見どころや考察や感想すら教えてくれるものであり、それを見れば内容を知ることはもちろん、それに対する「識者」になったような錯覚すら覚える。
しかし、こういうファスト識者は当然のことながら嫌われるのだ。
いちいち「ツイッターで見たんだけど」「ユーチューブで岡田斗司夫が言ってたんだけど」とダサい枕詞をつけて話すなら良いのだが、そこを完全に省略の上話してしまう人もいるのだ。
だがこの「ネットでまとめと感想を見ただけ」というのは基本的に「バレる」ものなのだ。
特にその分野に詳しい人からすると、そういうまとめを見ただけで、あたかも本当に見たかのように話題に入ってくる人間は「結局何ゲリオンを見ればいいの?」と聞いて来る人間より性質が悪かったりする。
テストであれば「これ進研ゼミで見た奴だ!」となったらすぐさま答案に答えをかいて良いが「これツイッターで見た奴だ!」となった時は脊髄反射でその内容を周囲に語らない方が良い。
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