怒りや不安などの負の感情は自分の中だけに留めておくと増大化しがちなため、言葉や文章としてアウトプットし、できれば他人と共有した方がいいという。
しかしSNSなど、不特定多数が見る場所にプットすると逆に負の感情が増す場合がある、というX以外に心情を吐露する場がない人間を殺す調査結果も出ているらしい。
ではなぜSNSがダメかというと、まず「想像以上に見られる恐れがある」せいだと思う。
「こんなフォロワー数一桁の初期アイコンのポストなんて誰も見ないだろう」と思って書き込んだ負の感情が、何故か拡散されてしまうことがあるのがSNSなのである。
裸の心で書き込んだポストが想像以上の衆目に晒されるというのは、全裸の自分を服を着た知らない人たちが大量に取り囲んでいる状態に等しく、何らの「目覚め」が訪れない限りは強いストレスであり、実際バズってしまったことにより鍵垢になる人は多い。
そもそも、誰も見てなくていいならSNSに書き込む必要もなく、チラシの裏や、自分の内ももにでも彫っとけばいいだろう、と思うかもしれない。
だが、我々はただ吐き出したいだけと言いつつも、「共感してほしい」という気持ちも捨てきれないのだ。
実際SNSに愚痴を書いても拡散されず、一部のフォロワーに「えー彼女さん厳しい」や「うんうんそれは彼氏が悪いね、じゃあ出頭しようか」など、共感コメントがつくだけなら、SNSにもストレス軽減効果があると思われる。
なかには「これって普通ですか」「みなさんはどう思いますか?」など、広く意見を求めているようで、明らかに共感を求めているポストも見られる。
しかし「妻が3人如きの子育てが辛いというのだが、みなさんどう思います?」という、意見という名の共感を求めたポストに、9割否定しか返ってこなかったように、SNSで共感を求めると、意見ばかりか人格まで否定される恐れがあるのだ。
9割否定とまではいかなくても、大勢の目に触れれば必ず否定意見が出てくるし、その中には敬語を習ったことがない人も含まれてくるので、やはり「不特定多数が見る場でのアウトプット」は推奨されないのだ。
つまり「クローズドな場所で特定の相手だけに言った方が良い」というのは、口が堅く、ヘッドバンキングに長けたバンギャに言え、ということである。
特定の相手でも、他人の話題は俺の話題という意識で吹聴する会話ジャイアンや、「気持ちはわかる、でも」と、赤べこに見せかけたサーベルタイガーには言わない方が良い、ということだ。
逆に、愚痴ディスポーザーになりたくなければ、他人の愚痴に対し全て「いやでも」か「でもまあ」で返していけばいいということだ。
愚痴は生身の人間に言えと言われても、まずそういう人間がいないし、いても愚痴を聞かせ続けるといなくなる。
やはり我々にはSNSしか残されていないのだ。別に意見を求めているわけではない愚痴はスルーするのがお互いのためである。
次回は6月4日更新です。
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